mimiriのブログ~要領悪くても終わればいいさ~

アラフォーで子ども2人出産し、日々の思うことを書いてます

【読書ノート】話ープレゼン・スピーチ・営業・交渉・接客・飲み会ー

電車の中の広告で見かけて、図書館にリクエストを出したら2番目で回ってきた。新刊本はやはり出たときに読むのが一番いい。それなら買えばいいものだけど、残念ながら予算も置き場もないので、相変わらずの図書館利用。

 

結論を言うと、おもしろかった。

カナダのテレビ局で、インタビュー番組の司会を務めたという著者の略歴に、「インタビューする生活してるわけじゃないしなー」と、あんまり参考にならないかも感を持っていた。翻訳本は文化が違っていたりしてあまり参考にならない・・・と感じることも多い。けれど、コロナ禍という世界中どこの国でも経験している状況を踏まえて、これからの世の中でどうコミュニケーションを取るのがいいか、と言う内容で、すんなり自分の中に入ってきた。

どんな状況になっても、人は他者とつながりたがる。コミュニケーションはいつの時代も必要。対話はインタビューだな!特に、初対面の人と会話するのは、質問を投げかけて、答えてもらって、のくり返しだな!と納得。

 

人とのつながりは「嗜好品」じゃない。「必需品」だ。

そうなのかもしれない。コロナ禍で人との接触を控えなければならなかった時を経て、親しい人や会いたい人と気軽に会うことができなかった時を経て、そう思う。

 

子どもを持ってから、初対面の人と会話する機会がぐっと増えた。保育園の送迎で。あるいは公園で。駅でも、電車の車内でも。

第1子の通う保育園は、保護者は園内に入らず、建物の入り口で先生に引き渡すスタイル。なので、登園や降園のタイミングが重なると、何人か列をなして待つことになる。特に朝は子どもにとってソーシャルディスタンスなど通用しないので、「おはよー!!!」とガンガン行ってしまう子どもを追って、待っている保護者の方と会話せざるを得ない状況になる。

私はどちらかというと初対面の人とでも会話できるタイプだけれど、話しかけても会話が続かない、という相手に対してもどんどん話せるほどのスキルはない。

「子ども」「同じ保育園」という共通項がありながら、会話が続かない人がいるのだ。

「えぇ。まぁ」くらいしか返答がこない人とは会話が続かない。さして相手に興味もないので、それ以上会話が続かなくてもいいけど、気まずい沈黙に耐えられない。これからはインタビュアーになったつもりで話しかけてみよう。という気になった。

 

リモート会議が「なんとなくやりにくい!」と感じていたのは、表情やトーンが伝わりにくいから。口を挟むタイミングがつかめないから。あぁ、だからか。リモート会議の特性をつかんで参加するのは大事なことだ。

 

他者とのつながりにおける「HELP」の話もおもしろかった。
H:相手の状況をたずねる(How)
E:相手に共感し、理解しようとする(Empathetic)
L:相手の話は批判せずに聴く(Listen)
P:次のステップを一緒に計画する(Plan)
当たり前だけど、これはけっこう大事なポイントだと思う。

 

「人に話す」のではなく、「人と話す」
キーワードは、「好奇心」と「感謝」
そうなんだと思う。夫婦喧嘩でも、まだ語彙力の少ない2歳児との会話にもこれは言えそうだ。
 
”会話は一期一会。あらゆる会話に出会いがある。その会話は誰かの人生を変えるかも知れない。もしかしたら、あなた自身の人生かもしれない。勇気を出そう。つながろう。”
 
2年ほど何も発信していなかったFacebookに久々に投稿したら、友人たちがめちゃくちゃ喜んでコメントをくれた。正直、素直にうれしかった。人とつながるって大事。ブログもそうなのかもしれない。
 
ということで、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

【読書ノート】ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2

1、のほうは去年の3月に図書館で予約したが、市内に30冊以上あるのにまだ600番台の待ち状態。気づいたら2、が出ていたので予約したら、数ヶ月でやってきた。

ということで数年前の話題の本をようやくかじったが、面白くて一気に読んだ。

 

2021年9月出版だが、書かれている日常は2019年とのこと。イギリスはEU離脱に揺れていた時期。イギリスの公立中学はこんなことやるのか!?と驚いた。自分のアタマで考えるようなプログラムが実に多そう。今の日本の公立中学はどうかわからんけど、私立でないとちょっとこういうことはやらないのでは、と思ってしまうようなスピーチの授業やら、大人の選挙と全く同じ選挙を学校でやるとか、そんな日常が書かれていて、とても興味深かった。

 

家族の会話って、大事ね。

夕食のときに学校でやっていることとか、世の中で起きていることについてどう考えるかとか、話し合うってすごく大事。大人の会話に子どもが口を出すべきじゃない、とか書いてる育児系の本もあったけど、うーんそれはどうなんだろう、と思っていた私の違和感はここにあった!と気づいたら妙にスッキリした。

 

たしかに、近所や友人のダレさんが不倫しているとか、借金がどうだの、という話は子どもの前ですることじゃないかもしれない。それが「大人の会話」であるなら、そうかな、とも思う。会社で受けたイヤな思いとかも、そうかもしれない。いや、でもこのあたりは境界が難しいな、と思う。

なぜ、母さんはそれでイヤな思いをしたのか。というところから社会の波のような話につながることは我が家では、というか夫との会話の中でよくある。女性進出社会とか、イクメンだとか、じゃあそれを変えるには?みたいな政治的な話とか。

うちの2歳児は、保育園の先生によると語彙が豊富なのだそうだ。1歳半検診では、ほとんどしゃべれなくて再診断になったものの、2歳過ぎる頃に急にベラベラ喋りだした。

子どもの前で、どんな会話をするか。けっこう課題やな、と思っているところだったので、ティーンエージャーとの生活は10年後、ブレイディみかこのいう「次のディケイド」なんだよなー、とふと思った。

 

10年か。あっという間に経つんだろうな。2歳児は中学生になるのか。どんな環境で、どんな学校に通うのがいいのか。親として何ができるのか。

 

“僕の身に起きることは毎日変わるし、僕の気持ちも毎日変わる”

“でもライフって、そんなもんでしょ。後悔する日もあったり、後悔しない日もあったり、その繰り返しが続いていくことじゃないの?”

 

そうなんだよね。そのとおりだと思うよ。

と、本の中のブレイディみかこの息子さんに思わず言ってしまう。

 

本物の思春期に突入してきた息子は、もう色々な心の動きを親には言わない。だけど、それでいい。

そう言える親子関係はステキだ。

 

子どもから学ぶことはきっとたくさんある。大きくなればなるほど、それはホントにたくさんあるだろう。人生遅ればせながら母になったけど、年齢積み重ねた分、得ている知見があるわけでもなくて、いろんな後悔がある毎日を生きているけど、子どもと一緒に成長できるチャンスがめぐってきたな、とは思う。

 

いい親子関係を築いていけるか不安はあるけど、“親は親で好きに生きていてくれたほうが、子どもはハッピーだと思うよ”という息子さんのセリフに、なんだか力をもらった。

 

好きに生きる、って難しいのだけれど。

子どもがいて、好きに生きるってなかなかけっこう難しいな、と思ってしまうんだけど。

子どもがいても好きに生きているんです、っていう人を見て、うらやましいなーと思ってもなかなか自分にはできないでいるんだけど。

それでも、子どものためにこうした!というのではなくて、私が楽しいからこうした!ということをたくさんやってもいいんだよね、と思う今日このごろ。

 

#ブレイディみかこ

#ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2

【読書ノート】すりへらない心のつくり方

2022年1月発行なので、電車の広告かなにかで見て図書館で予約していたのだと思う。何ヶ月も待って届き、受け取っていたものの数日読めず、夫と2日続けて大げんかして、すっかり心がすり減ったタイミングで読んだ。

 

何となく納得できない・・・そうできないから困っているのに・・・余計心がすり減りそう・・・と思いながら読み始めたが、そのままざっと最後まで読んだ。たぶん、こういうところが私の「すりへりポイント」で、なんかイマイチだと思ったらサッサと読むのをやめちゃえばいいのに、と毎度思うのだけど、せっかく読み始めたし、何かヒントがあるかもしれない、と思ってしまう性格なので仕方ない。

 

全く参考にならなかったわけではないし、前向きになれた箇所もあったので、結果的にプラスにはなった。

①「涙を流すのはカタルシス(精神の浄化)なので、とてもよい」

ー泣いていいのか。「子どもの前で泣くな!!」「涙はオンナの武器だからいいよな」と夫に激ギレされたが、親だって泣きたいときは大いに泣いていいと私は思っている。泣こうっと。

②「夫婦は邪魔しないようにマイペースで暮らすことが理想」「大事な重なり合う部分があれば充分」by下重暁子

ーマイペースに暮らせるように考えよう。在宅勤務と育児休職でどちらも狭い家にいるから衝突が絶えないのだ。大事な重なりあう部分は、きっとひとつくらいどこかにあるはず。

③不安は頭に置かず、書いて捨てる。あるいは一度考えるのをやめて、真っ白にする。愚痴はメモに書き出すだけでもカタルシス

ーフミコフミオさんの本にもあったとおりだ!書き捨ては効果がある、という精神科医の裏付け。

④ミスは「うまくいかない方法を見つけた」「どんな失敗でも新たな一歩となる」byエジソン

ーモノのとらえ方はひとつじゃない。考えようによっては、なんでもプラス思考。

 

私にとって「それがうまくいかなくて困ってるんですけど」な箇所があるにはあったけど、私の課題として今後どうするか考えていきたい。

 

①一度注意したら、それ以上言わない。

アドラーもいう、課題の分離。私の問題ではなくて、あなたの問題。だから私とは切り離して悩むのはやめる。

いや、そうは言ってもよ。出したものを何度言っても元の場所に戻さず、注意すると「そっちが戻しといてくれたらいいじゃん」と平然と言ってくる夫にどうしたらいいのよ。たしかに、私が戻せばケンカにはならないよ。しかしだよ。「出した人が自分でしまう」それって、当たり前じゃないのかい。人の時間をドロボーしておいて、偉そうに言うなよ。子どもだって、お片付けできない人になっちゃうじゃないか。使いたいときに「アレはどこ行った?」って探すのは本当に時間のムダだし、探し物で自律神経が乱れるわ。

家が狭くて、自分の部屋がないから共有スペースを使わざるを得ないのは私だって同じよ。自分の部屋なら、出しっ放しでもなにも言わんよ。リビングのテーブルの上に大量に出された本を片付けるのは、キミの仕事でしょうよ。なぜ私がそんなことのために朝から時間を使うハメになるのか納得できん。

「散らかった部屋を片付けると心が落ち着く」という章もあったけど、自分で散らかしたものを片付けるのはそうなんだけど、夫に散らかされた部屋を片付けるのは怒りしか生まれないのよ。これをどうやって心の安定につなげることができるか、今のところ解決策が見当たらない。

 

②後ろ向きな相談には乗らない。

ちょうど、人事異動をめぐって後輩から相談を持ちかけられている。「次の部署では仕事が続けられない、どうしよう」とその人はいう。困っている人を見捨てられないから困っているのに、後ろ向きな相談に乗らないように、って言われても・・・相談ってたいてい後ろ向きなことが多いじゃないか。ドライに生きればすり減らないのは当たり前じゃないか。第一、こんなことを言われたら、誰かに後ろ向きな相談をしたくても、「相手の心がすり減っちゃうかも」と思って、できなくなってしまうんじゃないか。

後ろ向きな相談でも、頼られるのは悪い気しないので、当面は受けることにしてもいいかと思っている。

 

③ねたましく思ったら、別の視点を持つ。

新しいバッグを見せつけるママ友に対して、支払いが大変ね、とか、何かほかに抱えているものがあるんだろう、とか思うと心の乱れが抑えられる。って、その例はなんだか性格悪いような・・・。ほかの例はなかったんかい!という単なるツッコミ。

その人なりに努力している結果だ、と思ったほうがスッキリするので、私としてはそう思うことにする。

 

④トシを重ねるほど、残された時間が少なくなり、心の回復が難しくなる。

ショックな言い方だ・・・。「自分だけがつらいわけじゃない」そんなことはわかっている。そうだとしても、今自分はつらいのだ。ほかにつらい思いをしている人がいる、と思っても、それは自分を癒やすことにはならない・・・。

トシを重ねて心の回復を自力でつけられるすべをつけていきたい。という私の課題。

 

⑤「自分は正しい」から離れて、相手の気持ちを考えてみる。

それは確かにそうかもしれないけど、そんなことばかりしているから心がすり減る、とも言える。夫は常に「自分が正しい」のオトコなので、本当に疲れる。「あー、はいはい、またか」と流してしまえることもあるけど、生活に関することはそう言ってばかりもいられない。「考え方が違うからこそうまくいく」と肯定的に考えて再スタートすることがオススメされているから、まぁそんなもんか・・・と思うことにはするけど、決定的に色々違っていることはどうしていけばいいのやら。

「たしかにそうね」と受け止めてから反撃する言い回しを身につけて、折り合いをつけていくしかないのかな。いつもいつもこっちがいったん折れないと話すら聞いてもらえないのはホントに疲れるんだけど。結果的に私の言いたいことも呑んでもらえるためには、いったん負けても最後に勝てばいいのかも。

 

自分を課題評価しているから、できなくて落ち込むのだ。という明石家さんまの話が載っていた。課題評価していたつもりはなかったけど、できなくて落ち込むってのはたしかにそうなんだと納得した。

 

「いったん休むと取り戻すのに膨大な時間がかかる、と考えるのはマジメな人の特長なのだそうだ。「べき」「ねば」が多いのは完璧主義者なんだそうだ。自分のことをマジメとも完璧主義者だとも思ったことはなかった。自分のことを短気だと思っていなかったけど、短時間に多くのことをしたいと考えたり、いろんなことに手を出して時間に常に追われていたりする「タイプA」に該当する部分が多かった。

私はせっかちなのか!だから時間にルーズで、モノを元に戻さない夫にイラつくのか!そう気付けば、なんとなく納得。自分の一面に気付くこと、自分を知ることは大事。

 

事態に耐える力と、自分をいたわる力。

「結果オーライ」「ま、いっか」

メンタルヘルス的に、これはけっこう大事。

 

結局、自分の心は自分で守るしかない。けれど、心の荷物を一時的に預かってくれる人は大切にしよう。それに気付かせてもらった一冊だったので、「結果オーライ」で「ま、いっか」。

ベビー服はなんだかんだベージュが最強

最近の買いそろえたもの、といえば、出産にかかわるいろんなもの。これから出産する方のお役に少しでもなればと思ってざっと書きます。

 

色々かわいいものがあるので目移りしちゃうけど、ベビー服はベージュや黄色っぽいモノが重宝した。理由はふたつ。

①うんちがついても目立たない。

赤ちゃんのうんちは黄色~黄土色。そしてドロドロ。オムツから漏れる。白い服だと目立ってしまう。

②一人目と二人目の性別が違っても、全く違和感なく使い回せる。

そういう意味では、ネイビーやグレーもいいと思う。でもそういう色は新生児用ではあまり見かけなかった。赤ちゃんが着るにはシックなデザインになりすぎちゃうのかもしれない。

 

肌着も同様で、白い商品が多いけど、ベージュっぽいもののほうがいい。

なお、生まれてから4ヶ月程度、首がすわらないうちは、大人が着るような首を通すような服はオススメできない。首がぐらぐらしていて怖すぎるのだ。私は何の知識も無くユニクロの「ボディスーツタイプ」という、股のところだけボタンがついているタイプの60サイズも用意してしまっていたけど、一度も封をあけることがなかった。いわゆる短肌着、という着物のように着るタイプが出回っているのは納得。

 

買わなくてもよかったな、と思うもの。

①授乳クッション

②新生児用のミルク関係

 

まずは授乳クッションのこと。

一人目のときは、抱き枕としても授乳クッションとしても使える、というものを買ったが、これは不要だった。抱き枕はたしかにおなかが大きくなってきたときに、横向きで寝るときに重宝したし、足がつりやすくなったので足を乗せて寝るのにも重宝はしたけど、毛布でも充分だった。産院に授乳クッションとして持ち込んでみたが、大きすぎて邪魔だった。

二人目のときには、浮き輪のように空気をいれるタイプの授乳クッションを買った。リッチェル、というメーカーのふかふか授乳クッション。空気が抜ける、というあまりよくない口コミもあったが、そんなに長期間使うつもりもなかったし、お値段的に別にそれでもいい、と思って買った。産院に持ち込むときや、実家に帰るときもつぶせればラクだな、と思った。空気の量によって、堅さが調節できるのもいいと思った。100円ショップで空気入れも買った。マジックテープがついていて、病院のベッドの柵にかけておけてとても便利だと思った。でも、自宅に帰ってからは結局あまり使わなかった。

二人目は「縦抱き」という抱き方での飲み方が気に入ったようで、その飲み方は授乳クッションを全く必要としなかった抱き方だったのだ。そして、出産した産院は授乳クッション推しだったが、退院してからお世話になった自宅訪問型の助産師さんは、授乳クッションよりもバスタオル推しだった。結果的に、バスタオルでどうにかしたほうが調整がきいた。昔の人の知恵的な語り継がれる方法を教えてもらった感じ。

ただ、この商品はお座りができるようになったら「お座りの練習に使える」とのことで、いま二人目がまさにそうなりそうなので、少し座らせてみたら、滑りながらもご機嫌におさまった。2歳児の第1子にとってもいいおもちゃにはなっている。美容室でこんなカタチのクッションを、雑誌を読む用として渡してくれるところもあるので、なんだかんだ使えなくはないのかもしれない。と、思って空気を抜かないまま部屋の片隅に転がしてある。

 

新生児用のミルクセットについて。

母乳の出方は人それぞれなので、完全に母乳だけでいける人もいれば、ミルクを足す人もいるし、生まれてから買えばいい、と知り合いから聞いてはいた。が、私は一人目の出産時に生後半年で職場に復帰したくて、ミルクセットは必要だと思っていた。電子レンジで消毒できる容器は事前に買っていた。哺乳瓶もたしか買っていたのだと思う。

ただ、新生児用の飲み口は様子見でいいだろう、と思っていた。出産した産院はゴリゴリの母乳スパルタで、産後2週間は母乳オンリーだった。2週間後に予約していた母乳外来で、栄養が足りていないことが判明し、そこからミルクも足すこととなり、あわてて新生児用の口を買った。助産師さんたちは「今からミルク足して、で全然問題ないですよ~」と言ってくれたが、小児科医に「なんでこんなになるまで気付かなかったんですか!」と強く責められ、ダメな母でごめんね・・・と、号泣した。

そんなことがあったので、二人目のときにもどうせそうなる、と思って、出産前からミルクと、新生児用の口を買っておいていた。ところが、ところが。二人目の時には出産後2日目からドバドバ母乳がでて、全くミルクがいらなかった。経産婦、おそるべし。一度開通した乳腺からとめどなく出てきて、パンパンでつらいほどだった。

今はネットでさくっと買える時代だし、うちの場合は近くにベビー用品を扱う店があるので、必要になったときに買う、で問題ない。ただし、夫に買ってもらえるように事前に夫婦で「これが必要になるかも」と、ある程度品定めしておくのはオススメしたい。

 

ちなみに、一般的に「ベビーバスは不要」という意見が多いらしいが、うちにとってはとても役立っている。我が家は狭い賃貸マンションなのに、なぜか風呂場はたっぷり畳2枚分以上あるので、置き場にはあまり困らない。お風呂が大きいので、洗うのが面倒・・・ということで、体のためにあまりよくはないけれど、大人も子どももたいていシャワー生活で、大人は服を着たまま子どもだけシャワー、という日も多い中、たしか第1子は歩き出す直前まで使っていたように思う。今、生後5ヶ月の二人目も当然まだ使っている。衣装ケースでも代用できる、という話があるが、ベビーバスは首が置けるし、おしりが滑らない設計になっているので、子どもの大きさ的に入れる限り使おうと思っている。

 

出産にあたって、買いそろえておくものは未知の品物だった。今やインターネットでなんでもわかる時代。なんだけど、一人目の出産のときに市町村の保健センター主催の育児教室に申し込んで情報を仕入れた。時は2019年になったばかり。ビフォアコロナの時代だった。育児学級で知り合いになった近所のママさんはいまでも連絡を取っているし、急にミルクをはじめることになったときは、「新品ひとつ余ってるからあげるよ!!」と言ってくれて、本当に助かった。

 

コロナ禍になったばかりのタイミングで出産した方は、本当に大変だったと思う。これから出産される方も、まだまだビフォアコロナのときと同じようにはいかないだろう。あくまで一個人の感想だけど、どなたかの参考になればうれしい。

 

ということで、今週のお題「買いそろえたもの」を考えていたら、あっという間に一週間経ってしまった。こうしてどんどん時間ばかり過ぎていくことに最近とても焦っている・・・。

捨てられないモノはコレクションだと思ったらどうだろう

夫も私も物を捨てられないタイプで困っている。空き箱とか誰かにいただいたものを「何かに使えるかも」と思ってしまって、なかなか手放せない。サクッとメルカれる人がうらやましい。

 

夫は文房具が好き。特に、マステと付箋が好き。わぁーかわいい!とかなんとか言って、気に入ったものを見つけるとすぐ買いたがる。いわゆる「女子力が高いモノ」が大好きなんだと思われる。リラックマとか、かわいい動物柄とか。

結婚したときに、マステがたくさん入った箱を見せられてびっくりした。そして、私もそういうマステ箱を持っているもんだから、我が家にはマステ箱が2個ある。ちなみに、私のマステ箱はツマガリというお菓子屋さんのクッキー箱で、夫のマステ箱も偶然にもツマガリのクッキー箱だった。統合させようと、とらやのお菓子箱があったので入れ替えてみたものの、入り切らなくて結局とらやとツマガリの2つに分かれたままだ。もうひとつのツマガリ箱は使ってないまま取ってある。いい作りのお菓子の箱は捨てられないのだ。

付箋にいたっては大きさが色々ありすぎて箱では管理しきれず、無印良品のスタッキングシェルフ用の4段引き出しを2段占領している。せめて1段にしようよ、と言い続けているが増える一方で何も解決しない。

 

そんなこんなで、狭い2LDKの部屋はモノだらけでちっとも片づかない。私も片付けられない性格なので怒ることもできないけど、在宅勤務していると散らかり具合が目に入って全然集中できない。自分が散らかしたものなら気にならないのに、相手が散らかしたものは許せない。特に、使って元の場所に戻ってないものは本当に許せない。

 

夫の所持品で最も多いものは、本。物置兼、夫の在宅勤務スペースの部屋は壁1面すべて本棚で、ぎっしり本が詰まっている。

リビングも壁1面本棚にしたいと言われたが、圧迫感がありすぎて却下した。しかし置き場もないのにネットで次から次へと買ってしまう。リビングの棚がどんどん夫の本で埋まっていく。ここは子ども用の図鑑を置こう、と決めていた場所も。イラつきが止まらない。

 

コレクションなのだ、これは。と思うことにしたらどうだろう。夫の心が浮き立つようなコレクションなのだ、と。私には全く興味のない法律や、大嫌いな数学の本なので背表紙を見ただけでイラつきが止まらないが、夫にとってはコレクションなのだ、と。彼にとっては宝物なのだ、と。そう思うと少し優しい気持ちになれるかもしれない。

 

ということで今週のお題「わたしのコレクション」

 

いやしかし、二人目の子どもが生まれて、これから家をどうしようかと話している中で、何平米の部屋なら足りるというのか悩ましい。先日、75㎡、3LDKのマンションのモデルルームを見学に行った。本、入り切ると思う?と夫に聞いてみた。うーん、ちょっと厳しいかも…。殊勝にもそんな答えが帰ってきた。いちおう気づいてくれてはいるらしい。

 

「あんまり見てない本をベッドにしようかな」

引っ越しを機に、捨てる気はないらしい。

 

試しに、「こあがり 本棚」と検索してみたらけっこう色々な商品がでてきた。やっぱり夫のような人は世の中にいるのだ。新しい家に住むときの参考にしたい。

【読書ノート】あちらにいる鬼

小説を読むことは、いつでも私にとっては現実逃避。なんだけど、この小説は感情移入が忙しかった。

 

井上荒野という作家を知らなかった。直木賞作家なのでどこかで名前くらい聞いたことがあってもおかしくないのに、知らなかった。

瀬戸内寂聴が亡くなったニュースで、井上荒野を知った。自分の父と、母と、父の愛人であった瀬戸内寂聴を描いた小説。その紹介で知った。2019年に出版された本だった。よぅそんな題材書くなぁ。完全に興味本位で図書館で予約したものが、瀬戸内寂聴が亡くなってから4ヶ月後に手元にようやく来たので読んだ。いつもおそろしく待たされる眼科で、黙々と読んだらあっという間に読み終わった。表紙が裸婦像なので、近くにいたおじいちゃんにチラチラ見られたけど、ありがたいことに眼科の待ち時間が苦ではないくらいあっという間に読んだ。しかし、頭のなかでいろんな登場人物に自分が重なってしまって、ひどく疲れた。

 

瀬戸内寂聴は、私が物心ついたときから瀬戸内晴美ではなくて瀬戸内寂聴だった。源氏物語の現代語訳を書いた人、という程度の認識だった。なにかの雑誌に載っていたエッセイ、恋愛相談的なやつは読んだことがあった。恋多き人生で、50歳くらいのときに出家した人。それは知っていた。

 

瀬戸内寂聴に小さな娘がいたことは知らなかった。愛した男と生活するために、夫と子どもを捨てて、家を出たこと。私ももしかしたら20代で結婚していたらそうだったかもしれない。ヒヤリとした。

 

小説の中の長内寂光の恋人、白木篤郎として描かれている人物が、井上荒野の父。女たらしのこのオトコが、夫と重なる。血を見るのが怖いくせに、産婦人科の医者になればよかった!助産師は女性しかなれないから、職場はオンナだらけで天国だということを高校生のときに知りたかった!とかなり本気めいて言っている夫に。女子大の先生に今からでもなれないかなぁー、と、これまたかなり本気めいて言っている夫に。

あるいは、職場内でダブル不倫していると言っていた同級生のオトコとも重なる。

飲み会の空気を全部持って行ってしまう会話上手なところが、若い彼女を持ちながらなかなか結婚せずにいる同級生のオトコとも重なるし、若かりし頃、私を散々口説いてきた妻子ある会社の先輩とも重なる。

 

白木に夫を重ねてしまうから、白木の妻の笙子に自分を重ねてしまう。こんなにデキた妻にはなれないのだけれど。

 

白木の第二子、焔と自分も重ねてしまう。6歳年上の姉がいることと、陶芸家を目指して瀬戸に行ってしまうところ。そういえば、なかなか就職先が決まらなかった大学生のころ、伝統工芸士に弟子入りする道も考えたな。結局、父に反対されてそうしなかったけど。いや、父は単純に生活の心配をしてくれていただけで、本気でやりたいと思う自分がそこにいなかっただけだったんだと思う。そんなことを思い出した。

 

唯一、自分が重ならなかったのは、井上荒野の立ち位置である海里だけだった。

 

登場人物に自分を重ねてしまって、あっという間に読み終わった、というのは、結局、私もなんだかんだと永遠の5歳児のような夫との生活を楽しんでいるからなのかもしれない。

 

事実は小説より奇なり。そんな生活をどうせなら楽しんで生きてやるかー。という気になった。

子どもの気持ちがわからなくてもしょーがない

子どもの気持ちに寄り添うことは大事だけど、自分以外の人の気持ちはわからなくても仕方ない。

そもそも自分の気持ちだってよくわからないのに、自分以外の人の気持ちなどわかるはずもない。

泣き止まない赤ん坊を抱きながら、しょーがないしょーがないと思って過ごしている。そうでも思わないとやっていられない。

 

第1子が生まれたとき、生後1ヶ月目に実家にひとつき近く帰った。引っ越したばかりの地で想定外に妊娠し、病院をろくろく調べる間もなく、生まれるのは8ヶ月も先の話なのに今すぐ分娩予約しないとベッドの予約がとれなくなりますよ、とかなりキツめに脅しをかけられ、高齢出産なこともあってとりあえず大きな病院なら安心だろう、里帰り出産はあとで変更できるだろう、と予約をいれたら、里帰り出産を認めていない病院だった。なぬー。そんなことあるのかー。かくして、産んでから1ヶ月間は夫に育休をとってもらい、母に週2回きてもらい、なんとか乗り切った。1ヶ月後の検診が終わった翌日、実家に帰った。

 

泣き止まない赤ん坊を慣れない手つきで抱き、あまり出ていないおっぱいに苦戦し、作り慣れないミルクをあわてて作ってヤケド。泣き止まない。泣き止まない。そんな状況の中、父が放ったひと言が忘れられない。

 

「母親なのに泣き止ませることができないのか」「どこかおかしいんじゃないか」

 

父としては、素朴な疑問。あるいは純粋な心配だったのかもしれない。でも、しょせん父は昭和のオトコ。子育ては母親がなんとかするものとでも思っているフシがある。産後のメンタル崩壊中の人に放つ言葉としては、あまりにも重い。ダンベルで後頭部殴られる感じ。死んでまうやんレベルの発言。

幸い、母がすぐさま割って入り、「そんな日もあるよねぇー。おー、ヨシヨシ」と赤ん坊を抱きあげ、「あなたは、少し休みなさい」と言ってくれた。マジ感謝。涙腺崩壊。

 

産んだら母親センサーが働いて、なんで泣いてるのかわかるようになるんだと思っていた。そんなことはなかった。全くセンサーが働らかない自分はダメ人間に思えた。

日々の積み重ねでわかるようになってくる、と友人に慰められた。

 

第2子が生まれてまもなく5ヶ月だけど、何ヵ月経っても正直よくわからない。多少、眠くて眠れないだけのときは泣き方が少し違うのでなんとなくわかる。でも他は何で泣いているのかわからない。子育てに向いてない。マジでそう思ってる。マジでそう思ってるのに、もうひとり産んでしまった。

 

第1子は、現在2歳半でイヤイヤ期の真っ只中。「ちがうのー!」のフレーズが常に私のまわりの空中に漂っている。それでも、「自分でやるのー!」「○○なのー!」と言えるようになってきただけいい。「にげちゃうもん」も、こちらの心に余裕があるときならカワイイ。あくまで、余裕があればの話。

 

第2子がこの世に生まれて5ヶ月。おなかの中にいるとわかってから1年。私はまだ彼が何を要求して泣いているのかわからない。おなかがすいた、オムツが気持ち悪い、眠いけど眠れない、抱っこしてほしい、せいぜいそんな程度の、指を折り返すことなく数えることができるくらいの願望しか持ち合わせていないだろう彼の気持ちを斟酌して行動している。

会社でオッサンの顔色伺うよりははるかにいい。一人目の出産は、はやく会社に戻りたかった。今回はそんな気は毛頭ない。同じ毛のない人への対処でも、赤ちゃんはカワイイと思えるようになった。ベビーフェイスのオジサンも会社にはいるけど、考えてみればただただ気持ち悪いだけ。育休中に顔を思い出すだけで気持ち悪い。うへー。

 

まずは空腹への対処。オッパイを飲ませる。泣き止まない。足りないのか。じゃ、ミルク足すか。泣いているのを放置してミルクを作りに行く。冷ましている間に急に静かになったと思ったら寝ている。眠いなら、泣いてないで最初から静かに寝てくれればいいものを…と思いながら作ってしまったミルクは冷まして冷蔵庫に入れておく。口をつけてないミルクなら、常温て2時間、冷蔵庫で24時間いけるのだそうだ。口をつけていなければ、無駄にはならない。

切ないのは、ギャン泣き具合から相当飲めるだろうと見込んで200mlたっぷり作ったものの、40ml程度飲んだだけで眠ってしまったり、全く飲まずにぺっ、と哺乳瓶を離してしまうとき。えぇーーーー飲まんのかーーーい。

 

我が家は短気な夫でも計量することなくミルクを作れるように、「明治ほほえみらくらくキューブ」というキューブタイプのミルクを使っている。1個が40ml分になっているもので、ひと袋に5個入って200ml一気に作れる。ふた箱で大体4千円。200ml分を買った金額で割り返すと、およそ80円であることが判明。安いのか高いのかビミョー。今のところ1日マックス3回ミルクなので、240円。自販機でペットボトル買うことをためらう私の金銭感覚からすると、高い。余ったミルクを流しに捨てるとき、ザワリとしたものが胸の中を横切る。

 

おっぱい、ミルク、おむつ交換、抱っこ。ひと通りやっても泣き止まず、おっぱい2周目に入るとき、中学の体育の授業の持久走を思い出す。これ、あと何周目続くんだ。

私は運動神経がものすごく悪くて、持久走もクラスで最後まで走っていた。クラスメイトは優しかった。最後のひとりになってしまった私を、おおむねみんな応援してくれていた。がんばれー!あと1周だよー!!思えば、持久走にはゴールがあった。

 

子育てにもゴールはある。しかし遠すぎて見えない。同じところをグルグル走っている持久走の日もあれば、ロードで未知の道を走るときもある。

 

赤ちゃんが泣き止むゴールは、睡眠である。静かに眠ってくれた瞬間、私のゴールテープはようやく切られる。しかし倒れ込んだゴール地点にあるのは、皿洗い、洗濯、おもちゃの片付け。別のマラソン大会がしっかりと用意されている。まじかー。それでも第1子が保育園に行っている間は平和。専業主婦をマジで尊敬する。

 

しょーがない。しょーがない。

我が家の2歳児の口癖である。私が言っているので彼女も覚えたのだろう。積んだつみ木を倒してしまってギャン泣きしていた日々は、最近「しょーがないしょーがない」と自分で言って1から積み上げ直す平和な遊びの日となった。

炊飯器のタイマーを入れ忘れて夕飯がうどんになったときも「しょーがないしょーがない」と言ってくれた。

 

母親だからって、赤ちゃんがなぜ泣いているのかわからなくていい。わからなくて当たり前。自分のお腹からでてきたモノであっても、私ではないのだから。

 

わからなくてもしょーがないしょーがない。

と気分よく過ごしていたら、久しぶりに生姜焼きが食べたくなった。夫の大好物である。

冷蔵庫をあけたら、なんと生姜焼き用の豚肉がチルド室に鎮座していた。昨日、夫に買い出しを頼んだ。なにか食べたい肉買ってきていいよ、と言ったのはたしかに私だ。気が合うじゃないか!とは素直に喜べない。

 

在宅勤務のお昼ごはんに作りたてが食べたくて買って来たんだろうなぁ。チューブじゃなくてちゃんとすった生姜のヤツが食べたい、って言われるんだろうなぁ。醤油はぜったいに入れるな、って言われるんだろうなぁ。私の好きな味にできないじゃないか。そう考えていたら途端に面倒になってきた。

 

生の生姜は買っていません。しょーがないです。

お昼ごはんにそんなものを用意するのは面倒です。用意できなくてもしょーがないです。

 

いや、冷凍庫にたしか生の生姜、入れてあった気がする。あった。第2子が生まれる前に作ったときのもの。半年以上経ってるけど、しょーがない。まぁ使える使える、大丈夫。

 

見ていたら食べたくなってきた。

しょーがないな、自分のためなら作ってもいいわ。

 

毎日はしょーがないの連続。