mimiriのブログ~要領悪くても終わればいいさ~

アラフォーで子ども2人出産し、日々の思うことを書いてます

【読書ノート】それは「叱る」ことではありません どこまで叱るべきか迷うお母さんへ

読みたい本は色々あるけれど、物理的に困っていたので図書館から借りている本の山から手に取った。2歳児のイヤイヤにほとほと疲れてしまって、怒るのも疲れるし、かといってダメなものはダメと言わないといかんし、と困ってしまったのだ。

 

Eテレの「すくすく子育て」にも出てくる保育士の柴田愛子先生の著書。もう、本棚に手を伸ばしながら「たすけて~愛子センセー」という気持ち。

 

気に入らないことがあると叩いてくる。

「痛いよ、やめて」と言っても、にやにや。

何を言っても「イヤー!!!!」と言って全く言うことを聞かない。

家の中でそれもつらいけど、外でそれをされるのはもっとつらい。

疲れる。本当に疲れる。金曜日が来るとげんなりする。あぁ、土日が来る。保育園のない土日が来る。これを毎日やっている専業主婦の皆さんを心から尊敬する。私にはムリ。

 

結論から言うと、助かりました。たぶん。とりあえず。少なくとも気持ちが落ち着いた。

 

愛子先生によると、叱る場面は2つだけ。「命に関わる危険があるとき」と「おカネに関すること」。ザッツ・オール。公共マナーも、お友達とのやりとりも、「叱ることではありません」なのだと。

 

2006年出版なので、もうかれこれ15年以上前だけど、「そうなんですよ、ホント」と思うことばかりだった。世間に迷惑をかけないようにしないといけない、とか、周りの人に不快な思いをさせてはいけない、とか、一歩外に出ると気にしないといけないことのなんと多いことか。

 

社会性、というのは2歳児に言い聞かせるのはムリなのだ。全く言わないわけにもいかないし、ダメなものはダメなんだけど、しょせんムリなのだ。周りの人がどうだとかよりも、お母さんがイヤなことは「イヤ」と伝えよう。それでよし。

世間にはいろんな人がいるので、迷惑だと思う人もいれば、思わない人もいる。他人の顔を気にするより、わが子の気持ちを気にしよう。そう言ってもらえて、少し心が軽くなった。

 

友達は100人もいなくていい。うわべだけでつきあうだけの友達が100人いても、何の役にも立たない。本当に心地いいと思える友達が何人かいればそれでいい。

 

親は子どもに何かしてあげようと思わなくていい。安心してご飯が食べられる、安心して逃げて帰ってこれる場所を作る。ザッツ・オール。
 
親自身にとっての「いい加減」を見つける。理想を何でも完璧にできるわけがない。教科書通りに育てられなくてもいい。できる範囲でムリをせずに実行すればいい、と専門家も指導したらいい。
 
もうね、いちいち「ありがとう~愛子センセー」と言いたい。

 

賛否両論はもちろんあると思う。そんな放任でいいのか、という議論はあると思う。甘やかしと後ろ指さされるかもしれない。

だけど渦中の人としては、とりあえず心が救われないと日々生活できない。

 

よくよく考えると、私自身の思い通りにならない状況でイヤイヤを発動されると「ピキッ」っとキレてしまう。

思い通りにならないことを泣いてわめくのが2歳児の状況。ならば、キレて八つ当たりする私も子どもと同じじゃないか。2歳児と同じなのか…と、軽くショックなことに気づいてしまった。

 

子どものありのままを「それでよし」と受け止める。受け止めてもらえたら、子どもは本来持っている力を発揮できる。
それは大人も同じだと思う。今のままで「それでよし」「元気に生きてるからそれでよし」そう言ってくれる人がまわりにいてくれたら、なんとかやっていける。
 
私がイライラするのは、私ばかりが子どもの対応をしていて夫はグースカ寝ている状況だったり、私が子どもに「いけないよ」と注意している横で、「そんなに怒ることじゃない」と何もしないくせに子どものご機嫌取りのように間を取り持とうとする夫の存在である。
 
深爪さんがエッセイの中で、結婚相手に求めるものは「自分のことは自分でできること」的なことを書いていた。それもとても大事なんだけど、「そのままで、それでよし」と言ってくれること、そして困っている状況に陥ったときの対応力が何より大事だとこの頃思う。
 
つまりは、私自身のイラつきをどう解消するか。疲れないようにするにはどうするか。これが大事だな。
 
そう思って迎えた月曜日。保育園にお迎えに行った帰りが大変だった。
家に帰らない。夕方と言っても外が明るいので、全然帰ろうとしない。保育園がよほど楽しいのか、園の前から帰ろうとしない。
あの手この手で家まで向かわせようとするものの、全然進まない。少し進んでは大幅に戻る。なんだ、このスゴロク。全然あがれないじゃん。マンションに着いても玄関に入らない。仕方ないので、階段でひとつ上の階まで行って、ようやく家に入ってくれた。7キロの0歳児をおんぶして、立ちっぱなしで2時間の筋トレであった。そこからお風呂、夕食のしたく。
 
「テレビ見たいー」「パズルやりたいー」「食べないー」
 
ようやく食べ始めたと思ったら「ヤダ、食べない!おいしくないの!」服に少しトマトの汁がついただけで「お着替えするの!」
 
極めつけはイチゴ論争。
スーパーに行きたい、イチゴが食べたいと言うので、今シーズン最後だしな、と買ったものの、いざ食べるときになって「リンゴがいいー!!」
 
さすがにもう限界。「ワガママばっかり言うんじゃないっ!!!」と言ってしまった。当然、大泣き。
 
どこまでが「共感」で、どこからが「ワガママ」なのだろう。しかし、2歳児に声を荒らげたところでロクなことはないし、なにより事態が解決しない。
 
リンゴはね、むくのが面倒なんですよ。イチゴはね、すぐに傷むんですよ。だからイチゴから食べるんです。
いや、でもそれも親の都合なんだよなぁ。子どもにとっては「そんなん、知らんがな」「どっちも食べたいんじゃ」なんだよなぁ。
 
まずは子どもの気持ちを考えましょう。子どもを信じて、待ちましょう。愛子先生の言葉である。
 
力量以上のことをする必要はないのです。これも愛子先生の言葉である。
 
そうよね、できないものはできないわ。若くない母だって、人生経験積んでる年になったって、できないものはできないわ。
 
そんなこんなの火曜日の朝。「昨日はカレコレこんなことがあったんですよーー」出迎えてくれた若い先生に軽くグチると、「色んなものに興味もあるし。自分の気持ちもうまく言えないし。そういうお年頃ですよね。いやぁ、でもお母さん、大変でしたね!!」と言ってくれた。
玄関渡しで、後ろに待っている他の保護者がいないとこういうことができるのは、小規模保育園ならではのストレス発散。そういう返しをどの先生もしてくれるので、ホント救われる。
 
愛子先生のような大人に出会えた子どもは、たぶん幸せだ。親の考えにもよるとは思うけど、私だったら幸せだと思う。
 
今年、小規模保育園を卒園するので次の保育園をそろそろ見学に行こう。先生たちと子どもたちのやりとりを見に行こう。
 
力量以上のことはできないけれど、子どもと一緒に成長だな。