きっとこの世界の共通言語は 英語じゃなくて笑顔だと思う
きっとこの世界の共通言語は
英語じゃなくて笑顔だと思う
高橋優のこの歌をはじめて聞いたとき、「おぉー!そうだよね、うんうんホントそう」と思ったし、とても好きなフレーズなんだけど。
私の周りにいる笑顔が素敵な人、あるいはパーッと知人友人の顔を思い浮かべたときに「なんかあの人いつも笑顔だな」という人は、語学も堪能であることが多い。
オーノー。
英語も笑顔もどっちもスムーズに出てくるって、コミュニケーションで言えば人生最強やん。
外国での生活が長い友人との再会で、彼女の笑顔を見ていて、水を入れにきてくれた店員さんに対しても常に笑顔なのを見て、自分の笑顔の少なさをひとしきり反省したところでふと思った。
誰かとコミュニケーションをする中で、「えーっとなんて言うか…」とか「うーんとうまく言えないんだけど…」とかそんな場面は実に多い。
母国語でもそうなんだから、母国語でないことばはもっとそうで、他言語を堪能に話している人であってもそういう場面がある、という話を彼女から少し聞いて、なんというか、ちょっとホッとした。
「なんていうかわかんないけど、えーっとまぁこんなカンジで〜(ニコッ)」
「うーんと、あっ間違えちゃった!まぁ、でも、うん(ニコッ)」
とかいうようなシチュエーションは容易に想像がつく。言葉の壁的なものを何度となく越えているうちに、もれなく笑顔も他言語も身についちゃった。
もしかすると、私の周りにいる「笑顔がめちゃくちゃいい=語学が堪能」な人たちはそんな経験をたくさんしてきて、笑顔も語学力もどっちも手に入れたんじゃないだろうか。
赤ちゃんと過ごす生活で、第一子のときはもうホントになにもわからなくて、「おうちで声掛けをしましょう」「赤ちゃんに笑いかけましょう」とか言われても…ねぇ…えーっとどうしたら?と思っていた。
泣いている子を抱っこしながら、「あーもーこっちが泣きたいわー」と思っていた。
保育園の先生があまりにもピタリと泣き止ませるのを見て、気づいた。
笑顔だ。
接している大人が笑っていると、すぐに泣き止む確率が上がる(気がする)
第二子は「なんだろね〜なんだろね〜だろだろだろ〜ぶぅぁ〜」と抱くと、たいてい泣き止んでくれる。
これは3歳児にも今のところ有効で、「だろだろ、ってなによぉー!」「ぶぅぁーってなによぉー!」といいながら泣き止んで笑う。ただし、3歳児には毎回全く同じことをやっていると効果がなくなってくるので、適当にフレーズは変える必要はある。
フレーズを変えるのは面倒ではあるけど、「だろだろぶぅぁー」とか言ってると、なんだそれ?と自分でも笑えてくるときがある。
言葉が通じない人間関係は、他言語の人たちばかりではない。
赤ちゃんもしかり。子どももしかり。特に、我を忘れて泣いている子は、こちらが何を言っても手がつけられない。
きっとこの世界の共通言語は、英語じゃなくて笑顔だと思う。
ホントそう思う。
自分のお腹から生まれて、日本語にしか囲まれていない生活の自分の子でも、日本語が通じない。でも笑顔は通じる。
「母親はいつも笑顔で」的なことになってしまうと、それはそれでちょっとツライので、いつも笑顔かどうかは置いておくとして。
コミュニケーションの基本は、笑顔だな。
仕事に復帰したら心がけよう。
日本語しか使わない仕事だけど。
そんなことを考えながら、ざーっと読んだ『40代をあきらめて生きるな』(永松茂久)
同じようなことが書いてあった。この本に関しては、第一子出産年齢が世の中の平均よりも10歳近く上回ってしまっている私からすると参考になるポイントはそう多くなかったけど、自分より若い人をリスペクトしながら、笑顔でいるのは大事なこと。
自分には何があるかわからないけど、笑顔がめちゃくちゃ素敵な友人がいる、という私の人生も、けっこう捨てたもんじゃない。
今からでも笑顔で接するクセをつければ、残りの人生は「あの人、いつもたいてい笑顔よね」の人たちの仲間入りはできそうな気がする。
#きっとこの世界の共通言語は英語じゃなくて笑顔
#40代をあきらめて生きるな
記憶喪失でも若年性アルツハイマーでもないのだけど、半年間の記憶が消失している件
気づいたら半年ブログを書いていなかった!
書いていないどころか、開いてもいない。
2022年のやりたいことの中に、ブログを100本書くとか書いていたけど、当然達成できず。
他のやりたいことも、だいたいざっくり4割もできていない。
6月末から12月まで何があったのか、よく思い出せない。
大きな病気をしたわけでもない。
家族は誰もコロナにもかかってない。
なんだろう、このパラレルワールド感。
下書きをいまさら眺めてみたら、6月はわりと充実した感じだった。
「今年やりたい100のこと」を考えてみたのが大きかった。
前もって予定を考えて、天気を見て出かけられそうなら出かける。コロナはまた増えているとはいえ、イベントは中止にならないし、予約しなくても行けるものが増えてきたのはありがたい。
前もって予定を考えて行動した結果、なんとなく私の満足度は上がった。
しかし、思わぬ落とし穴があった。
夫とのケンカが増えたのだ。
理由はおそらく、「私だけ」がサクサク行動して充実を手に入れたから。
「なんとなく充実したひと月になったわー」とつぶやいたら、
「その充実は、オレの犠牲の上に成り立っているだろ!!なんでオレばっかり!!」と激キレされてしまったのだ。
少し使い方が違うかもしれないが、ルー大柴的に言うと、寝耳にウォーター。
突然ルー大柴が出てきたのは、いつだったかネット記事で、茶人になったことを知って、自分との共通点を見つけたからである。
まぁそれは置いておくとして。
家事をやりながらのラジオ英会話。
少し早く起きて、朝食&在宅勤務の夫と自分のお昼ごはん&夕食の下ごしらえをまとめてやって、工夫と少しの努力によって得た読書時間。
第二子がハイハイとかつかまり立ちをするようになり、日中寝なくなってきたので、日中に好きなことはほとんどできなくなってしまった。
それならば、子どもとできることをやろう!とアタマを切り替えて、たかいたかいー!をしながらのスクワット。子どもをおなかの上に乗せての腹筋運動。
1週間の中でやることのタスクを書き出して忘れずに完了し、5分あったらできること、10分あったらできることのリストも作って、まずはやるべき家事をこなしてから得た、わずかばかりの自由時間である。
「オレばっかり自由時間がない!!」とキレられる謂れはないはず。子どもの寝かしつけもやってない夫なので、朝までたっぷり時間はあるはず。
聞けば、夜遅い時間にやってるスポーツニュースやメジャーリーグの試合はしっかり観ている様子。
それでも、それは夫にとっては「最低限のやること」なのだそうで、それをやるのは「当然のこと」なのだそうだ。
我が家はもともと分業で家事をやっている。
洗濯、床とお風呂場の掃除、ゴミ出し、重いものの買い出しは主に夫。
料理と日々の食材調達は私。
食器洗いは手のあいているほう。朝と昼はだいたい私で、夜は夫。しかし夜は量が多くなりがちなので、洗いカゴに入る分だけでOKとハードルを下げている。朝、私が起きたら残りの洗い物。
もともとの役割は何ら変わってない。
子どもが二人になっても、基本の分担は変わってない。むしろ、床掃除は第二子がハイハイするようになったので、私も積極的にやるようにしたくらいだし、重いものも極力生協の宅配にして、夫の負担は減らしたつもりである。
育休中だからといって家事を全て私がやるのは違う、毎日が仕事復帰したときのための予行練習だと思って、分担は変えずにいこう、と言い出したのは夫だ。
夫は私から見ればかなりの潔癖症なのである。そして要領が私以上に悪い。
洗濯をとりこむのは、腕まで石鹸で洗い、キレイなタオルでふいてから。当然、手を洗ってからベランダの扉に触れるのは論外で、カゴを使うのもNG。1枚1枚空中でたたんでタンスへ持っていく。タンスの引き出しも事前にあけておかねばならない。
ベランダからの移動で家具や着ている服などに少し触れただけで、洗い直し。
私からすると、意味がよくわからないのである。
子どもがいる前での作業となると、タンスを開けておけば勝手に出すし、ハイハイでベランダに出てしまえば危険も多い。
そうなると、突然「開けてー」と頼まれる。私が何をしていようがおかまいなしに、自分の都合をサッサと優先しろと言わんばかりに「いますぐ開けて!」と言ってくるトノサマぶりで、協力してるのはこっちのほうだと言いたい。
キレイな手で、というのはまだわかる。でも、どうせそのうち着るのだ。着たら何かに触れることになるのに、なぜそこまでやる必要があるのか。
一緒に洗う組み合わせにもこだわりがある。
靴下は靴下だけ単独で。
タオルはタオルだけで。
子どもが外で着た服は大人のものと一緒でいい、0歳児の室内で着ていたものと第一子の保育園で使った食事用エプロンは一緒でいいが、それと外で着た子ども服は別に洗う。
わからんでもない。食器を拭くふきんと靴下が一緒でもいいのか、と聞かれるとたしかに気にしない私でも抵抗を感じるようになってしまった。
しかし細かすぎる。
1枚1枚たたんではしまうので、めちゃくちゃ時間がかかる。1日3時間くらい洗濯に使ってるんじゃないだろうかと思うくらい、時間がかかる。ハッキリ言って、そんなことはやってられない。
私が在宅勤務をしていたときは、浮いた通勤時間や昼休みに私が取り込んだり、干したりしていた。が、見てないからバレないだろうとテキトーにやっているのがバレて激キレされ、「もういい!信用できない!オレが全部やる!!」と、洗濯係をクビになったのだ。
そんなに手間がかかる洗濯を、どうしたらもっと短く済ませられるだろうかと考えるアタマは彼にはないのだ。
それなら、仕方ないではないか。自分で時間がかかる方式を選んでいるのだから。
いや、彼は彼なりに考えてはいるらしいが、賃貸の狭い家で今の間取りではできないことばかりなのだ。サンルームなどないし、タンスのある部屋に室内干しのスペースも取れない。洗面所も狭いからたたむための作業台は置けないのだ。
私としては、「色々工夫して時間作ってるんだもんね、オレも見習おう!」的な話になるかと思いきやの激キレされてしまったので、ビックリした。
彼は何も知らなかったのだ。
私がタスクノートを細かくつけて、やり忘れないように管理し、1週間の中で外出の予定を見て、いつならできそうなのか逆算して早めにとりかかったことも。
私が少し早く起きて家事をしていることも。
食事の支度にかかる時間を短縮しない限り、自分の時間は取れないと気づいて、そこを何とかしようと試行錯誤していることも。
激キレに激キレを返して応酬し、タスクノートを見せつけてやった。「こっちは工夫してやってんだよ!」「時間決めてピッとやってんだよ!!」「やることやってから好きなことやってんだよ!!!」
さすがにハッとした様子ではあった。
だけど、私も疲れてしまった。
そして続かなくなってしまった。
だけど…
日々の生活に流されるだけだと、やっぱりなんのための育休だったんだろう、って思う。
育休はあと3ヶ月。
1日は24時間しかなくて、それはどんなときでも変わらない。
計画倒れになるかもしれないけど、やっぱり2023年にやりたいことを考えてみます。
とくに、3月までにやっておきたいこと。
もう後悔はしたくないので。
って、すでに1月も最初の1週間が終わっているという衝撃的事実に心がついて行きません…。
【読書ノート】何とかならない時代の幸福論
今月前半に読んで、下書きに保存していたので掘り返し。
対談本っていい意味でとても読みやすいし、「それな!わかるわ!」って思いながら楽しく読んだけど、読み終わったときに「あれ、結局何の話だったっけ?」と思ってしまうことが多くて、この本も結局何が「なんとかならない時代の幸福論」なんだったのか、おふたりが言いたかったことって何でしたっけ?日本はダメだ、日本を出ろっていうこと?と思ってしまったけど、それは単に私の読解力の問題かもしれない・・・。
世間=自分の周りの人
社会=それよりももっと広い部分
自分の身の回りの「世間」には関心があるけれど、もっと広い「社会」には関心が無い。という話はすごく興味深かった。
ベビーカーを持っていて階段で困っている女性がいたときに、知り合いだったらすぐ助けるけど、知り合いじゃなかったら助けない、という事例はとてもよく理解できた。
以前、松田青子の『自分で名付ける』という育児エッセイを読んだときに、子育てしていて、周囲の無関心、好意、敵意の3つの視線の中でいつも子どもと一緒にいる、というようなくだりがあったのを思い出したけど、まさにそんな感じ。
大阪のおばちゃんは「世間」の範囲が広めで、知らない人でも話しかける、というのも納得。もちろんそうでない大阪のおばちゃんもいると思うけど、関西に住んでいるときにスポーツジムのロッカーで知らない人にしょっちゅう話しかけられてびっくりした。
「今日は暑いなぁ」はもちろん、「今日、うちエアロビやってん。○○センセイの。出たことある?出たことないん?あのセンセイはめっちゃええで。イケメンやし!」とかなんとか。最初はものすごくびっくりしたけど、私はけっこう好きでした。そういうの。東京に戻ってきて、全然そういうのないな、とふと懐かしくなりました。
校則の話も、制服の話もいちいち納得。
私も夫も制服のない学校で育ったので、なんのために制服を着るのか、実はまったくわけがわかってない。下着が白じゃないとダメなのが問題になってたけど、シャツは白じゃなきゃダメっていうのも実は意味がわかってない。
靴下の丈?スカートの丈?自転車こぐのに危なくなかったら何でもよくない?そもそもスカートで自転車漕ぐのは漕ぎにくくない?と常々思っている。
そもそも成長期に丈の合わない服を着ないといけないのがよくわからない。要は、自分で考えることが大事なんじゃないの、って。衣替えもそう。一斉に制服を変えるのってさ、寒かったら着ればいいし、暑かったら脱げばいいと思うんだけど。
私の勤務先にも制服があって、私は着る職種じゃないからいいんだけど、女性たちはクールビズ期間になると一斉に取り替えていて「寒い寒い」って言ってる人もいる。もちろん大人だからその辺は自由なはずなんだけど、「周りの人がみんな着てるから私も」って言ってる後輩がいてびっくりした。「それで風邪ひいても誰も責任取れないから、長袖着ていいと思うけど?」と言ったら、「いや、でもみんなが・・・」というので、好きにしてくれー、と思っちゃったのも思い出したりして。
「日本人はみんな同じでないと安心できない」というブレイディみかこの話はすごく納得した。「平等(equality)」を「同じ(sameness)」だと思っている、というのはとても興味深かった。
ランドセルの色のバリエーションが増えたけど、ランドセル以外を持つ、という発想にはならない。
そういえば私はお下がりのランドセルだったので、みんなと違ってもう赤が赤でなくなっていて、今で言うとバーガンディっていうのかな、ワインレッドみたいな色になっててそれはそれで渋いのだけど、相当いじめられて、リュックで登校して、親が先生に呼び出されてたなぁ。母は、「両手はあきます。リュックで何か問題ありますか?」と質問し、「先生が何も言い返さなかったから、普通にリュックでいいと思う」とか言ってくれたっけ。ボロボロになる前に好きなものに買い換えてもくれてたから、結果的に満足度はかなり高かった。
まぁそんな母だけど、父はステレオタイプで、「私はいいけど世間がダメっていうでしょ」というのはコロナのときの実家の反応。
「うちは来てもいいけど、会社的にダメなんじゃないの?」という父のセリフ。
おっしゃるとおりです。私の勤務先ではなんか知らんけど葬式でさえも実家に帰るのは認めない風潮になっていて、「それって勤務先が決めることじゃないよ」と夫は激怒していたけど、誰も異を唱える人はいなかったのが本当に不思議。もっとも、雑誌かなにかで、お誘いを断るときに「夫の会社のルールが厳しめで・・・まだお会いするのは難しいのです」という表現がオススメだと載っていたのを見たこともあるので、案外そういう会社も多いのかも知れないけど。
意味のない社内ルールが多すぎるという企業の話も、「上司がまだ帰らないから帰れない」とかいう意味のない労働のブルシットジョブの話も「あー、これウチの会社じゃん!」と思った。
こういう社会の中で、どうやって幸福に生きるか。
子どもたちにエンパシーを。自己主張ができる教育を。そういう話もでてきていて、この前見学に行った保育園のパンフレットがまさに「エンパシー」だの「自分で考えられる子に」だの出ていて、おーー!!と思ったけど、それを一つの保育園がやったところで、小学校に入ったらどうなんだろう?別の意味で小1の壁に当たらないか??とか思ってしまって、なかなか迷いが抜けない。保育園の先生の力量も気になってしまう。
ただ、対談で語られていた「演劇を使った表現教育の話」は本当にスバラシイと思えて、ロールプレイングで相手の役になってみて気付くことがある、というのは会社の研修でもよく取り入れている手法だし、子育てにいかせるかもな、と。
子どもの目線になってみて、「そうだよね、これをやりたかったよね」と思うのは大事。そのうえで、大人の都合でやってほしいことを伝えるのは本当に難しいけど・・・。
子育てを通じて、私にとっての「世間」が少し変わった。
子どもたちといっしょに「社会」にどう関わっていくか、ちょっと考えさせられている。
#何とかならない時代の幸福論
#鴻巣尚史
#世間と社会
私って「VERY世代」って言っていいのかしら
美容室にて、タブレットで雑誌を検索しようとしたら、頼んでもないのにオススメとして「VERY」が表示された。
前の人が見ていたのか、発売日だったからなのか不明だけど、気になってはいたので読んでみた。
VERYといえば、姉の愛読雑誌だったはずである。
年が離れているせいか、趣味や価値観が合わないせいか、あまり仲が良いとは言えない姉妹なので、しばらく話してはいないが、当時30代後半だった姉が出産後に読んでいた。
もともとファッションに関心が高く、見栄えも美しい姉である。子どもの頃から常に比較されてきた私。
姉は親戚が集まる場ではいつでも「いつ見てもキレイねぇ」と言われ、私はいつでも「大きくなったねぇ」であった。もはやそれ以上は大きくはならない年齢になってもなお、容姿を褒められることはなく。
当時、実家にいた私の知っている限りでの姉の愛読雑誌は、BAILAであったり、Oggiであった。そこからは一緒に生活していないので不明だったが、産後に里帰りしてきたときに読んでいたのがVERYであった。
私はファッションにそれほど興味がなく、美容室でパラパラ見る20〜30代であった。MOREやWith、CLASSY、BAILAやOggiも買ってはいなくて、美容室で見るだけ。
容姿のコンプレックスもさることながら、「愛され女子」というのに違和感があって、どうも買ってまでは読む気になれなかった気がする。
結婚してからは、美容室で読むのはオレンジページとかESSEがテーブルに置かれることが多くなったのでそれをパラパラ。
考えてみれば紙の雑誌を置くのって、美容師さんにどう見られているかのバロメーターだったよね。
コロナですっかりタブレット方式になったけど。
「VERY世代」というのは、主に小さい子どものいる30〜40代前半くらいを指すのだそうだ。30代後半で出産する人も増えたからね。私もそうだけど。
そして仕事をしている、いわゆるワーママというのがメインターゲットなんだということを改めて思い知りました。それも明らかにそんなに収入低くないけど、めちゃくちゃ高いってわけでもない感じかな。
美容室で読みきれなかったので、改めて図書館で6月号を借りたらおもしろくてついつい読んでしまった。
雑誌に2時間近く時間かけるって、久しぶり。
早朝、子どもが起きてくるまでの貴重な時間。
りゅうちぇるのお悩み相談でバッサリと夫を切る書きぶりもおもしろかったし、柚木麻子の本のオススメが載っていたり、平野啓一郎の妻でモデルの春香が子育てについて書いている内容もおもしろかった。
福岡で寺子屋をやっている人のインタビュー記事で、サードプレイスの話もおもしろかった。
サードプレイス。大人にも必要よね。それをTwitterが担っているという記事には、ついにTwitterやってみようかな、と思ったり。
自分が年を取るごとに、年代ごとに読んでいく雑誌は変わっていく。
もともとファッションに興味のない私だけど、ファッション以外の情報も得られるのはうれしい。
買うほど欲しいわけでないから、ひと月待って図書館の閲覧期間が終わったら予約だな。
しかし…
雑誌ってホント色々出てるよね。
子育て世代向け雑誌でいうと、Martもたまに読むけどはVERYとはちょっとテイストが違って主婦向けって感じだし。
次に読むのはSTORYかなぁ、とか思っていたら、この3つはどれも光文社。出版社同じだったのか!知らなかったー。
他にどんなのあるか気になったので調べてみた。
そうそう、MarisolとかLEEもあるよね。これは集英社。MOREとかBAILAと同じ出版社。
Marisolは40代向け。LEEも30代〜40代の子育て世代向け。えぇー。あれもこれも読みたくなっちゃう。
そんなこんなでネットサーフィンしていたら、MarisolもDomaniも休刊していることをはじめて知った。
そしてちょうど1年前のヤフー記事。
「私たちに今日(オッジ)はあっても明日(ドマーニ)はない」
なるほどねー。同じ出版社から出てるのを年齢とともに追えばいいわけではなくなってるのね。
https://news.yahoo.co.jp/byline/yonezawaizumi/20210629-00245032
出版社も色々大変だ…
だけど私はやっぱり紙が好き。休刊の世の中で明らかに逆行。
すみません、でも買わないのです。図書館で借りるのです…。
そんなこんなで雑誌選びに迷走しそうな予感。
親になってから、もともと関心のあったものにプラスして、子育てのことだったり、世の中のことも知っとかないと的な思いも出てきて気持ちが忙しいことこの上ない。
家計簿をつけてみた
育休をとっている間に、会社がなにやら大きく変わりそうな雰囲気。
その1。
お世話になった担当常務が今月の総会で退任。
まぁこれはね、そろそろかなとは思ってたんだけど。10年以上なんやかんやでお世話になった人なので、派閥があるわけじゃないけど後ろ盾がいなくなるというかなんていうか。守ってくれたり、助言をくれたり、苦言を呈してくれたり、そういう人がいなくなっちゃうのはちょっと困っちゃうよね。
その2。
勤務先が来年移転するらしい。一部の部署が移転する、って話らしいけど、どうやら休職前の所属部署は対象になるっぽい。
えぇーーー。しかも車が運転できないと通えないところに行くらしい。まじかーーー。ペーパードライバーにとっては非常にマズイ事態。
自家用車持ってなくても、社用車でみんなで駅から行くしくみはあって誰か運転してくれればなんとかなるけども。でもねー、それってみんなで一緒に帰らないといけないってことなんだよね。集団下校ってやつ。朝はどうせみんな同じ電車で来るからいいとして、問題は帰りよ。定時で帰る人とかほとんどいないし、半休もとりにくい。子どもが急に熱出しました、とかで早退するときなんて誰かに駅まで送ってもらわないといけないわけで。
ムリムリムリ。これはホントに本気で身の振り方を考えないといかん。
以上のことは会社からは何も連絡がこないのだけど、同僚に「よっ!元気ー?」的に連絡してみて知りました。
情報は来るのを待つのではなく、取りにいかなアカンな、と痛感。みんな忙しいからね。わざわざ知らせてくれるのを期待するのは甘えだよね。
ひとり目の育休のときに、近所の支援センターで知り合ったママさんが「え?うちの会社はフツーに頻繁に連絡くるよ?」って言ってるのを聞いて、「え?世の中そうなの?」と思って「なんでウチの会社は誰も連絡くれないの…」とイジケてたけども。目の前にいない人にわざわざ連絡なんてくれないよね。忘れちゃうよね。私もそうだったし。休職してはじめてわかったわ。
先のことが不安すぎてアタマ回らなくなりそうなので、「今年やりたい100のこと」を遂行すべく、家計簿をせっせとつけてみた。
たまりにたまった6月のレシートを、エクセルに転記していく単純作業。レシートをなくしちゃってる分もありそうだけどね…
食費だけは予算を決めてみた。今月あと半月ですでに予算の半分以上を使っている…。
勢いに乗って、5月のレシートも掘り起こしてつけてみた。それこそ失くしちゃってるのもありそうだけどね。
なんと…外食ほとんどしてないのに10万円近く食費に使っていた…。何にそんなに…。
離乳食かな?「うらごし?そんな面倒なことやってらんないわ」と、カネで解決に走ったからかな?ひとり目のときはせっせと作ってたのに、頑張っても食べてくれない徒労感を知っているから、もう作る気がしない…。
ミールキットとか冷凍食品かな?保育園のお迎えからの夕食作りがなかなかできなくて、大活躍なんだけど。たしかにいまは迎えに行く前に作れても、復帰したらそれはできなくなるから、今のうちに復帰後を想定して練習しとこうと思って、これもカネで解決…。
ムリムリムリ。節約は大事だけど、無理せず家族が飢えずに元気でいるためには、必要経費だと思いたい…。
そして、まとめてレシートを転記する作業に1時間以上費やしてたのもびっくり。
そういえば在宅ワークのセミナーで、「レシートつけ」っていう仕事があるってのを知ったんだった。なるほどね。仕事だと思えばいいのか。
いや、誰も給料くれないけど…。
家計を把握するのに外注するのはなんだか本末転倒的な感じもするから、やっぱり自分でつけるしかないんだけどさ…。
写真パシャっと撮って家計簿つけてくれるアプリにしたらもっと簡単に管理できるんじゃん?と、夫に相談すると「なんかそれって情報抜かれそうでヤダな」だったらちょっとは手伝って欲しいけど、向こうは仕事もしているわけで、どこまで頼めるかっていうと難しい。
よくよく考えると、私も仕事してるときから家計簿やってるのは私だけで、夫はおカネにうるさいくせに全然やらないからモヤモヤしちゃうけどね。
家事にはお給料は発生しません。それってけっこうツライよ…。世の中の全ての家事労働者のみなさん、おつかれさまです…。
絆創膏はファッションですから
もうすぐ3歳になる第1子は、絆創膏が好きなお年頃。血が出てないのに貼りたがる。貼るとうっとおしいから、できればさっさと外したいけどねぇ、私は。
絆創膏っていっても、フツーの肌色のやつ。キャラクターものとかじゃなくて。
朝、ちょっとぶつけたところに貼りたがって、時間ないのに「自分で貼るー!!」って言って、「ぐちゃぐちゃになっちゃったー!!!(泣)」ってなって、仕方なくもう一枚出して貼って。
保育園で預けるときに、ケガしてると先生にご心配おかけしてしまうので、「ヒザに絆創膏貼ってますけど、ケガしてるわけではないので…」と申し送りすると、今朝受け渡しを担当してくれた先生が「あ、ファッションなんですね!○○ちゃんも指に指輪的に貼ってきてますよ!」「貼りたがるときってありますよね、私はけっこう大きくなってからテーピング貼りたかった時期ありました!」(笑)って感じで言ってくれた。
そうね、そういえばそんなときってあったよね。
私は包帯巻きたがってたわ。たぶん小学生だったかな。足首に八の字に巻いていって、麦の穂みたいにするやつ。母が医療関係の仕事してたから、スルスルーっとやってくれるのが楽しくて、マネしてたっけ。なかなかできるようにならなかったけどね。
絆創膏もったいないでしょ!!って言いたくなっちゃうけど、通過点なのかもしれないね。いずれ自分でできるようになってくれないと困るし。
保育園は、先生と話していて私自身が元気をもらえるところがいい。子どものためがどうとかって考えると習い事してくれる園もいいだろうし…とか迷っちゃうし、あくまで子ども第一に考えるのが大事なのはわかるんだけど。そんな親ベースで考えるのって自分勝手でどうなんだろとか後ろめたくもあるんだけど。でも、きっと短時間しか触れ合わない親でさえ楽しい園なら、長い時間そこにいる子どもはもっと楽しいんじゃないかな、って思う。
来年以降の園をあれこれ見学してるけど、最後にはそういうポイントで決めようかな。
【読書ノート】「後伸びする子」に育つ親の習慣
元・開成の校長で、現・北鎌倉女子の校長をしている柳沢幸雄の著書。
どれくらい図書館での予約を待ったか・・・蔵書冊数が少ないこともあって、かれこれ1年近く待ったかな。すごいセンセイって、子どもにとって凄いのもそうなんだけど、親を元気づける力があるよね。そういうセンセイに出会えたら、親も子どもも幸せよねって思わせるセンセイだと思いました。
18歳になったら家から追い出そう。家事ができるように、小さいときからやる方向に持っていこう。
私はまわりの友人たちがバタバタと結婚するタイミングで転勤によりようやく一人暮らししたけど、もっともっと早くやっとけばよかったーと思ったし。
#柳沢幸雄