mimiriのブログ~要領悪くても終わればいいさ~

アラフォーで子ども2人出産し、日々の思うことを書いてます

【読書ノート】何とかならない時代の幸福論

ブレイディみかこ&演出家の鴻上尚史の対談本。

今月前半に読んで、下書きに保存していたので掘り返し。

 

対談本っていい意味でとても読みやすいし、「それな!わかるわ!」って思いながら楽しく読んだけど、読み終わったときに「あれ、結局何の話だったっけ?」と思ってしまうことが多くて、この本も結局何が「なんとかならない時代の幸福論」なんだったのか、おふたりが言いたかったことって何でしたっけ?日本はダメだ、日本を出ろっていうこと?と思ってしまったけど、それは単に私の読解力の問題かもしれない・・・。

 

世間=自分の周りの人

社会=それよりももっと広い部分

自分の身の回りの「世間」には関心があるけれど、もっと広い「社会」には関心が無い。という話はすごく興味深かった。

ベビーカーを持っていて階段で困っている女性がいたときに、知り合いだったらすぐ助けるけど、知り合いじゃなかったら助けない、という事例はとてもよく理解できた。

 

以前、松田青子の『自分で名付ける』という育児エッセイを読んだときに、子育てしていて、周囲の無関心、好意、敵意の3つの視線の中でいつも子どもと一緒にいる、というようなくだりがあったのを思い出したけど、まさにそんな感じ。

 

大阪のおばちゃんは「世間」の範囲が広めで、知らない人でも話しかける、というのも納得。もちろんそうでない大阪のおばちゃんもいると思うけど、関西に住んでいるときにスポーツジムのロッカーで知らない人にしょっちゅう話しかけられてびっくりした。

「今日は暑いなぁ」はもちろん、「今日、うちエアロビやってん。○○センセイの。出たことある?出たことないん?あのセンセイはめっちゃええで。イケメンやし!」とかなんとか。最初はものすごくびっくりしたけど、私はけっこう好きでした。そういうの。東京に戻ってきて、全然そういうのないな、とふと懐かしくなりました。

 

校則の話も、制服の話もいちいち納得。

私も夫も制服のない学校で育ったので、なんのために制服を着るのか、実はまったくわけがわかってない。下着が白じゃないとダメなのが問題になってたけど、シャツは白じゃなきゃダメっていうのも実は意味がわかってない。

靴下の丈?スカートの丈?自転車こぐのに危なくなかったら何でもよくない?そもそもスカートで自転車漕ぐのは漕ぎにくくない?と常々思っている。

そもそも成長期に丈の合わない服を着ないといけないのがよくわからない。要は、自分で考えることが大事なんじゃないの、って。衣替えもそう。一斉に制服を変えるのってさ、寒かったら着ればいいし、暑かったら脱げばいいと思うんだけど。

私の勤務先にも制服があって、私は着る職種じゃないからいいんだけど、女性たちはクールビズ期間になると一斉に取り替えていて「寒い寒い」って言ってる人もいる。もちろん大人だからその辺は自由なはずなんだけど、「周りの人がみんな着てるから私も」って言ってる後輩がいてびっくりした。「それで風邪ひいても誰も責任取れないから、長袖着ていいと思うけど?」と言ったら、「いや、でもみんなが・・・」というので、好きにしてくれー、と思っちゃったのも思い出したりして。

 

「日本人はみんな同じでないと安心できない」というブレイディみかこの話はすごく納得した。「平等(equality)」を「同じ(sameness)」だと思っている、というのはとても興味深かった。

ランドセルの色のバリエーションが増えたけど、ランドセル以外を持つ、という発想にはならない。

そういえば私はお下がりのランドセルだったので、みんなと違ってもう赤が赤でなくなっていて、今で言うとバーガンディっていうのかな、ワインレッドみたいな色になっててそれはそれで渋いのだけど、相当いじめられて、リュックで登校して、親が先生に呼び出されてたなぁ。母は、「両手はあきます。リュックで何か問題ありますか?」と質問し、「先生が何も言い返さなかったから、普通にリュックでいいと思う」とか言ってくれたっけ。ボロボロになる前に好きなものに買い換えてもくれてたから、結果的に満足度はかなり高かった。

 

まぁそんな母だけど、父はステレオタイプで、「私はいいけど世間がダメっていうでしょ」というのはコロナのときの実家の反応。

「うちは来てもいいけど、会社的にダメなんじゃないの?」という父のセリフ。

おっしゃるとおりです。私の勤務先ではなんか知らんけど葬式でさえも実家に帰るのは認めない風潮になっていて、「それって勤務先が決めることじゃないよ」と夫は激怒していたけど、誰も異を唱える人はいなかったのが本当に不思議。もっとも、雑誌かなにかで、お誘いを断るときに「夫の会社のルールが厳しめで・・・まだお会いするのは難しいのです」という表現がオススメだと載っていたのを見たこともあるので、案外そういう会社も多いのかも知れないけど。

 

意味のない社内ルールが多すぎるという企業の話も、「上司がまだ帰らないから帰れない」とかいう意味のない労働のブルシットジョブの話も「あー、これウチの会社じゃん!」と思った。

 

こういう社会の中で、どうやって幸福に生きるか。

 

子どもたちにエンパシーを。自己主張ができる教育を。そういう話もでてきていて、この前見学に行った保育園のパンフレットがまさに「エンパシー」だの「自分で考えられる子に」だの出ていて、おーー!!と思ったけど、それを一つの保育園がやったところで、小学校に入ったらどうなんだろう?別の意味で小1の壁に当たらないか??とか思ってしまって、なかなか迷いが抜けない。保育園の先生の力量も気になってしまう。

 

ただ、対談で語られていた「演劇を使った表現教育の話」は本当にスバラシイと思えて、ロールプレイングで相手の役になってみて気付くことがある、というのは会社の研修でもよく取り入れている手法だし、子育てにいかせるかもな、と。

子どもの目線になってみて、「そうだよね、これをやりたかったよね」と思うのは大事。そのうえで、大人の都合でやってほしいことを伝えるのは本当に難しいけど・・・。

 

子育てを通じて、私にとっての「世間」が少し変わった。

子どもたちといっしょに「社会」にどう関わっていくか、ちょっと考えさせられている。

 

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