きっとこの世界の共通言語は 英語じゃなくて笑顔だと思う
きっとこの世界の共通言語は
英語じゃなくて笑顔だと思う
高橋優のこの歌をはじめて聞いたとき、「おぉー!そうだよね、うんうんホントそう」と思ったし、とても好きなフレーズなんだけど。
私の周りにいる笑顔が素敵な人、あるいはパーッと知人友人の顔を思い浮かべたときに「なんかあの人いつも笑顔だな」という人は、語学も堪能であることが多い。
オーノー。
英語も笑顔もどっちもスムーズに出てくるって、コミュニケーションで言えば人生最強やん。
外国での生活が長い友人との再会で、彼女の笑顔を見ていて、水を入れにきてくれた店員さんに対しても常に笑顔なのを見て、自分の笑顔の少なさをひとしきり反省したところでふと思った。
誰かとコミュニケーションをする中で、「えーっとなんて言うか…」とか「うーんとうまく言えないんだけど…」とかそんな場面は実に多い。
母国語でもそうなんだから、母国語でないことばはもっとそうで、他言語を堪能に話している人であってもそういう場面がある、という話を彼女から少し聞いて、なんというか、ちょっとホッとした。
「なんていうかわかんないけど、えーっとまぁこんなカンジで〜(ニコッ)」
「うーんと、あっ間違えちゃった!まぁ、でも、うん(ニコッ)」
とかいうようなシチュエーションは容易に想像がつく。言葉の壁的なものを何度となく越えているうちに、もれなく笑顔も他言語も身についちゃった。
もしかすると、私の周りにいる「笑顔がめちゃくちゃいい=語学が堪能」な人たちはそんな経験をたくさんしてきて、笑顔も語学力もどっちも手に入れたんじゃないだろうか。
赤ちゃんと過ごす生活で、第一子のときはもうホントになにもわからなくて、「おうちで声掛けをしましょう」「赤ちゃんに笑いかけましょう」とか言われても…ねぇ…えーっとどうしたら?と思っていた。
泣いている子を抱っこしながら、「あーもーこっちが泣きたいわー」と思っていた。
保育園の先生があまりにもピタリと泣き止ませるのを見て、気づいた。
笑顔だ。
接している大人が笑っていると、すぐに泣き止む確率が上がる(気がする)
第二子は「なんだろね〜なんだろね〜だろだろだろ〜ぶぅぁ〜」と抱くと、たいてい泣き止んでくれる。
これは3歳児にも今のところ有効で、「だろだろ、ってなによぉー!」「ぶぅぁーってなによぉー!」といいながら泣き止んで笑う。ただし、3歳児には毎回全く同じことをやっていると効果がなくなってくるので、適当にフレーズは変える必要はある。
フレーズを変えるのは面倒ではあるけど、「だろだろぶぅぁー」とか言ってると、なんだそれ?と自分でも笑えてくるときがある。
言葉が通じない人間関係は、他言語の人たちばかりではない。
赤ちゃんもしかり。子どももしかり。特に、我を忘れて泣いている子は、こちらが何を言っても手がつけられない。
きっとこの世界の共通言語は、英語じゃなくて笑顔だと思う。
ホントそう思う。
自分のお腹から生まれて、日本語にしか囲まれていない生活の自分の子でも、日本語が通じない。でも笑顔は通じる。
「母親はいつも笑顔で」的なことになってしまうと、それはそれでちょっとツライので、いつも笑顔かどうかは置いておくとして。
コミュニケーションの基本は、笑顔だな。
仕事に復帰したら心がけよう。
日本語しか使わない仕事だけど。
そんなことを考えながら、ざーっと読んだ『40代をあきらめて生きるな』(永松茂久)
同じようなことが書いてあった。この本に関しては、第一子出産年齢が世の中の平均よりも10歳近く上回ってしまっている私からすると参考になるポイントはそう多くなかったけど、自分より若い人をリスペクトしながら、笑顔でいるのは大事なこと。
自分には何があるかわからないけど、笑顔がめちゃくちゃ素敵な友人がいる、という私の人生も、けっこう捨てたもんじゃない。
今からでも笑顔で接するクセをつければ、残りの人生は「あの人、いつもたいてい笑顔よね」の人たちの仲間入りはできそうな気がする。
#きっとこの世界の共通言語は英語じゃなくて笑顔
#40代をあきらめて生きるな