記憶喪失でも若年性アルツハイマーでもないのだけど、半年間の記憶が消失している件
気づいたら半年ブログを書いていなかった!
書いていないどころか、開いてもいない。
2022年のやりたいことの中に、ブログを100本書くとか書いていたけど、当然達成できず。
他のやりたいことも、だいたいざっくり4割もできていない。
6月末から12月まで何があったのか、よく思い出せない。
大きな病気をしたわけでもない。
家族は誰もコロナにもかかってない。
なんだろう、このパラレルワールド感。
下書きをいまさら眺めてみたら、6月はわりと充実した感じだった。
「今年やりたい100のこと」を考えてみたのが大きかった。
前もって予定を考えて、天気を見て出かけられそうなら出かける。コロナはまた増えているとはいえ、イベントは中止にならないし、予約しなくても行けるものが増えてきたのはありがたい。
前もって予定を考えて行動した結果、なんとなく私の満足度は上がった。
しかし、思わぬ落とし穴があった。
夫とのケンカが増えたのだ。
理由はおそらく、「私だけ」がサクサク行動して充実を手に入れたから。
「なんとなく充実したひと月になったわー」とつぶやいたら、
「その充実は、オレの犠牲の上に成り立っているだろ!!なんでオレばっかり!!」と激キレされてしまったのだ。
少し使い方が違うかもしれないが、ルー大柴的に言うと、寝耳にウォーター。
突然ルー大柴が出てきたのは、いつだったかネット記事で、茶人になったことを知って、自分との共通点を見つけたからである。
まぁそれは置いておくとして。
家事をやりながらのラジオ英会話。
少し早く起きて、朝食&在宅勤務の夫と自分のお昼ごはん&夕食の下ごしらえをまとめてやって、工夫と少しの努力によって得た読書時間。
第二子がハイハイとかつかまり立ちをするようになり、日中寝なくなってきたので、日中に好きなことはほとんどできなくなってしまった。
それならば、子どもとできることをやろう!とアタマを切り替えて、たかいたかいー!をしながらのスクワット。子どもをおなかの上に乗せての腹筋運動。
1週間の中でやることのタスクを書き出して忘れずに完了し、5分あったらできること、10分あったらできることのリストも作って、まずはやるべき家事をこなしてから得た、わずかばかりの自由時間である。
「オレばっかり自由時間がない!!」とキレられる謂れはないはず。子どもの寝かしつけもやってない夫なので、朝までたっぷり時間はあるはず。
聞けば、夜遅い時間にやってるスポーツニュースやメジャーリーグの試合はしっかり観ている様子。
それでも、それは夫にとっては「最低限のやること」なのだそうで、それをやるのは「当然のこと」なのだそうだ。
我が家はもともと分業で家事をやっている。
洗濯、床とお風呂場の掃除、ゴミ出し、重いものの買い出しは主に夫。
料理と日々の食材調達は私。
食器洗いは手のあいているほう。朝と昼はだいたい私で、夜は夫。しかし夜は量が多くなりがちなので、洗いカゴに入る分だけでOKとハードルを下げている。朝、私が起きたら残りの洗い物。
もともとの役割は何ら変わってない。
子どもが二人になっても、基本の分担は変わってない。むしろ、床掃除は第二子がハイハイするようになったので、私も積極的にやるようにしたくらいだし、重いものも極力生協の宅配にして、夫の負担は減らしたつもりである。
育休中だからといって家事を全て私がやるのは違う、毎日が仕事復帰したときのための予行練習だと思って、分担は変えずにいこう、と言い出したのは夫だ。
夫は私から見ればかなりの潔癖症なのである。そして要領が私以上に悪い。
洗濯をとりこむのは、腕まで石鹸で洗い、キレイなタオルでふいてから。当然、手を洗ってからベランダの扉に触れるのは論外で、カゴを使うのもNG。1枚1枚空中でたたんでタンスへ持っていく。タンスの引き出しも事前にあけておかねばならない。
ベランダからの移動で家具や着ている服などに少し触れただけで、洗い直し。
私からすると、意味がよくわからないのである。
子どもがいる前での作業となると、タンスを開けておけば勝手に出すし、ハイハイでベランダに出てしまえば危険も多い。
そうなると、突然「開けてー」と頼まれる。私が何をしていようがおかまいなしに、自分の都合をサッサと優先しろと言わんばかりに「いますぐ開けて!」と言ってくるトノサマぶりで、協力してるのはこっちのほうだと言いたい。
キレイな手で、というのはまだわかる。でも、どうせそのうち着るのだ。着たら何かに触れることになるのに、なぜそこまでやる必要があるのか。
一緒に洗う組み合わせにもこだわりがある。
靴下は靴下だけ単独で。
タオルはタオルだけで。
子どもが外で着た服は大人のものと一緒でいい、0歳児の室内で着ていたものと第一子の保育園で使った食事用エプロンは一緒でいいが、それと外で着た子ども服は別に洗う。
わからんでもない。食器を拭くふきんと靴下が一緒でもいいのか、と聞かれるとたしかに気にしない私でも抵抗を感じるようになってしまった。
しかし細かすぎる。
1枚1枚たたんではしまうので、めちゃくちゃ時間がかかる。1日3時間くらい洗濯に使ってるんじゃないだろうかと思うくらい、時間がかかる。ハッキリ言って、そんなことはやってられない。
私が在宅勤務をしていたときは、浮いた通勤時間や昼休みに私が取り込んだり、干したりしていた。が、見てないからバレないだろうとテキトーにやっているのがバレて激キレされ、「もういい!信用できない!オレが全部やる!!」と、洗濯係をクビになったのだ。
そんなに手間がかかる洗濯を、どうしたらもっと短く済ませられるだろうかと考えるアタマは彼にはないのだ。
それなら、仕方ないではないか。自分で時間がかかる方式を選んでいるのだから。
いや、彼は彼なりに考えてはいるらしいが、賃貸の狭い家で今の間取りではできないことばかりなのだ。サンルームなどないし、タンスのある部屋に室内干しのスペースも取れない。洗面所も狭いからたたむための作業台は置けないのだ。
私としては、「色々工夫して時間作ってるんだもんね、オレも見習おう!」的な話になるかと思いきやの激キレされてしまったので、ビックリした。
彼は何も知らなかったのだ。
私がタスクノートを細かくつけて、やり忘れないように管理し、1週間の中で外出の予定を見て、いつならできそうなのか逆算して早めにとりかかったことも。
私が少し早く起きて家事をしていることも。
食事の支度にかかる時間を短縮しない限り、自分の時間は取れないと気づいて、そこを何とかしようと試行錯誤していることも。
激キレに激キレを返して応酬し、タスクノートを見せつけてやった。「こっちは工夫してやってんだよ!」「時間決めてピッとやってんだよ!!」「やることやってから好きなことやってんだよ!!!」
さすがにハッとした様子ではあった。
だけど、私も疲れてしまった。
そして続かなくなってしまった。
だけど…
日々の生活に流されるだけだと、やっぱりなんのための育休だったんだろう、って思う。
育休はあと3ヶ月。
1日は24時間しかなくて、それはどんなときでも変わらない。
計画倒れになるかもしれないけど、やっぱり2023年にやりたいことを考えてみます。
とくに、3月までにやっておきたいこと。
もう後悔はしたくないので。
って、すでに1月も最初の1週間が終わっているという衝撃的事実に心がついて行きません…。