mimiriのブログ~要領悪くても終わればいいさ~

アラフォーで子ども2人出産し、日々の思うことを書いてます

子どもの気持ちがわからなくてもしょーがない

子どもの気持ちに寄り添うことは大事だけど、自分以外の人の気持ちはわからなくても仕方ない。

そもそも自分の気持ちだってよくわからないのに、自分以外の人の気持ちなどわかるはずもない。

泣き止まない赤ん坊を抱きながら、しょーがないしょーがないと思って過ごしている。そうでも思わないとやっていられない。

 

第1子が生まれたとき、生後1ヶ月目に実家にひとつき近く帰った。引っ越したばかりの地で想定外に妊娠し、病院をろくろく調べる間もなく、生まれるのは8ヶ月も先の話なのに今すぐ分娩予約しないとベッドの予約がとれなくなりますよ、とかなりキツめに脅しをかけられ、高齢出産なこともあってとりあえず大きな病院なら安心だろう、里帰り出産はあとで変更できるだろう、と予約をいれたら、里帰り出産を認めていない病院だった。なぬー。そんなことあるのかー。かくして、産んでから1ヶ月間は夫に育休をとってもらい、母に週2回きてもらい、なんとか乗り切った。1ヶ月後の検診が終わった翌日、実家に帰った。

 

泣き止まない赤ん坊を慣れない手つきで抱き、あまり出ていないおっぱいに苦戦し、作り慣れないミルクをあわてて作ってヤケド。泣き止まない。泣き止まない。そんな状況の中、父が放ったひと言が忘れられない。

 

「母親なのに泣き止ませることができないのか」「どこかおかしいんじゃないか」

 

父としては、素朴な疑問。あるいは純粋な心配だったのかもしれない。でも、しょせん父は昭和のオトコ。子育ては母親がなんとかするものとでも思っているフシがある。産後のメンタル崩壊中の人に放つ言葉としては、あまりにも重い。ダンベルで後頭部殴られる感じ。死んでまうやんレベルの発言。

幸い、母がすぐさま割って入り、「そんな日もあるよねぇー。おー、ヨシヨシ」と赤ん坊を抱きあげ、「あなたは、少し休みなさい」と言ってくれた。マジ感謝。涙腺崩壊。

 

産んだら母親センサーが働いて、なんで泣いてるのかわかるようになるんだと思っていた。そんなことはなかった。全くセンサーが働らかない自分はダメ人間に思えた。

日々の積み重ねでわかるようになってくる、と友人に慰められた。

 

第2子が生まれてまもなく5ヶ月だけど、何ヵ月経っても正直よくわからない。多少、眠くて眠れないだけのときは泣き方が少し違うのでなんとなくわかる。でも他は何で泣いているのかわからない。子育てに向いてない。マジでそう思ってる。マジでそう思ってるのに、もうひとり産んでしまった。

 

第1子は、現在2歳半でイヤイヤ期の真っ只中。「ちがうのー!」のフレーズが常に私のまわりの空中に漂っている。それでも、「自分でやるのー!」「○○なのー!」と言えるようになってきただけいい。「にげちゃうもん」も、こちらの心に余裕があるときならカワイイ。あくまで、余裕があればの話。

 

第2子がこの世に生まれて5ヶ月。おなかの中にいるとわかってから1年。私はまだ彼が何を要求して泣いているのかわからない。おなかがすいた、オムツが気持ち悪い、眠いけど眠れない、抱っこしてほしい、せいぜいそんな程度の、指を折り返すことなく数えることができるくらいの願望しか持ち合わせていないだろう彼の気持ちを斟酌して行動している。

会社でオッサンの顔色伺うよりははるかにいい。一人目の出産は、はやく会社に戻りたかった。今回はそんな気は毛頭ない。同じ毛のない人への対処でも、赤ちゃんはカワイイと思えるようになった。ベビーフェイスのオジサンも会社にはいるけど、考えてみればただただ気持ち悪いだけ。育休中に顔を思い出すだけで気持ち悪い。うへー。

 

まずは空腹への対処。オッパイを飲ませる。泣き止まない。足りないのか。じゃ、ミルク足すか。泣いているのを放置してミルクを作りに行く。冷ましている間に急に静かになったと思ったら寝ている。眠いなら、泣いてないで最初から静かに寝てくれればいいものを…と思いながら作ってしまったミルクは冷まして冷蔵庫に入れておく。口をつけてないミルクなら、常温て2時間、冷蔵庫で24時間いけるのだそうだ。口をつけていなければ、無駄にはならない。

切ないのは、ギャン泣き具合から相当飲めるだろうと見込んで200mlたっぷり作ったものの、40ml程度飲んだだけで眠ってしまったり、全く飲まずにぺっ、と哺乳瓶を離してしまうとき。えぇーーーー飲まんのかーーーい。

 

我が家は短気な夫でも計量することなくミルクを作れるように、「明治ほほえみらくらくキューブ」というキューブタイプのミルクを使っている。1個が40ml分になっているもので、ひと袋に5個入って200ml一気に作れる。ふた箱で大体4千円。200ml分を買った金額で割り返すと、およそ80円であることが判明。安いのか高いのかビミョー。今のところ1日マックス3回ミルクなので、240円。自販機でペットボトル買うことをためらう私の金銭感覚からすると、高い。余ったミルクを流しに捨てるとき、ザワリとしたものが胸の中を横切る。

 

おっぱい、ミルク、おむつ交換、抱っこ。ひと通りやっても泣き止まず、おっぱい2周目に入るとき、中学の体育の授業の持久走を思い出す。これ、あと何周目続くんだ。

私は運動神経がものすごく悪くて、持久走もクラスで最後まで走っていた。クラスメイトは優しかった。最後のひとりになってしまった私を、おおむねみんな応援してくれていた。がんばれー!あと1周だよー!!思えば、持久走にはゴールがあった。

 

子育てにもゴールはある。しかし遠すぎて見えない。同じところをグルグル走っている持久走の日もあれば、ロードで未知の道を走るときもある。

 

赤ちゃんが泣き止むゴールは、睡眠である。静かに眠ってくれた瞬間、私のゴールテープはようやく切られる。しかし倒れ込んだゴール地点にあるのは、皿洗い、洗濯、おもちゃの片付け。別のマラソン大会がしっかりと用意されている。まじかー。それでも第1子が保育園に行っている間は平和。専業主婦をマジで尊敬する。

 

しょーがない。しょーがない。

我が家の2歳児の口癖である。私が言っているので彼女も覚えたのだろう。積んだつみ木を倒してしまってギャン泣きしていた日々は、最近「しょーがないしょーがない」と自分で言って1から積み上げ直す平和な遊びの日となった。

炊飯器のタイマーを入れ忘れて夕飯がうどんになったときも「しょーがないしょーがない」と言ってくれた。

 

母親だからって、赤ちゃんがなぜ泣いているのかわからなくていい。わからなくて当たり前。自分のお腹からでてきたモノであっても、私ではないのだから。

 

わからなくてもしょーがないしょーがない。

と気分よく過ごしていたら、久しぶりに生姜焼きが食べたくなった。夫の大好物である。

冷蔵庫をあけたら、なんと生姜焼き用の豚肉がチルド室に鎮座していた。昨日、夫に買い出しを頼んだ。なにか食べたい肉買ってきていいよ、と言ったのはたしかに私だ。気が合うじゃないか!とは素直に喜べない。

 

在宅勤務のお昼ごはんに作りたてが食べたくて買って来たんだろうなぁ。チューブじゃなくてちゃんとすった生姜のヤツが食べたい、って言われるんだろうなぁ。醤油はぜったいに入れるな、って言われるんだろうなぁ。私の好きな味にできないじゃないか。そう考えていたら途端に面倒になってきた。

 

生の生姜は買っていません。しょーがないです。

お昼ごはんにそんなものを用意するのは面倒です。用意できなくてもしょーがないです。

 

いや、冷凍庫にたしか生の生姜、入れてあった気がする。あった。第2子が生まれる前に作ったときのもの。半年以上経ってるけど、しょーがない。まぁ使える使える、大丈夫。

 

見ていたら食べたくなってきた。

しょーがないな、自分のためなら作ってもいいわ。

 

毎日はしょーがないの連続。