mimiriのブログ~要領悪くても終わればいいさ~

アラフォーで子ども2人出産し、日々の思うことを書いてます

【読書ノート】ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

フミコフミオさんの『ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。』を読んだ。

作家でも芸能人でもなくて「フツーの人」、ということなので、あえてさん付けにする。

 

おもしろすぎる。日常が書かれているだけなのにおもしろい。電車の中でニヤニヤ笑ってしまう。マスク、バンザイ。塗りたくもない口紅を塗らなくてもいいこと並にマスクの有用性に気づいた。

 

もともとプロフィールを見て、親近感を持っていた。神奈川県民でありながら、ベイスターズではなくスワローズファン。それだけで充分すぎるほど共感できそうなニオイがしていた。たまたま出会ったフミコフミオさんのブログ記事は本当におもしろかった。サラリーマンのサエない日常、とのことだったが、内容にすごく共感した。そのブログの内容が1冊の本になりました、というんだから私に合わないはずがない。本のほうがパソコンで見るよりも目が疲れない。夜中に読んでもブルーライトに悩まされることがない。ありがたい限り。

 

あとがきを読んで、おもいがけず泣いた。

バカなりに生きてきた。ならば私にだってできると明るく笑っていただければうれしい。

誰でもが自分で自分を守る自分だけのヒーローにはなれる。一人よがりでも死ぬよりはマシ。1度きりの人生だから、自分だけのヒーローになってしぶとく生き抜こう。

それぞれの戦い方を見つけて生きていけばいい。

 

あぁ、こんなセンパイが会社にいてくれたら。20代で出会っていたら。

「え、キミ神奈川出身なのにツバメファンなの?あーそー じゃー今度会社の帰りに何人かで神宮行くー?もしよかったらの話で、早く上がれる都合が合う日があれば、だけど」的にライトなノリで野球観戦のお誘いをいただいたら、よほど生理的にムリな物理的なニオイでもしない限りお誘いをありがたく受けただろう。

数人で野球観戦して、帰りの方向が一緒なのが二人きりだったりして、仕事の悩みとか聞いていただいて、何度かそんなことをしているうちにすっかり胸キュンモードになってしまったかもしれない。

ご結婚されていたとしても、奥様との日々の生活のグチを聞いて「フミコさん、たいへんそう…」などと言っているうちに渡ってはいけない禁断の橋に足をかけてしまったかもしれない。

妄想が止まらない。

 

ライトなお誘いを掃いて捨てるほど、とまではいかずともそれなりにいただいていた20代から、干支がぐるりと一周ちょっと回って生きてきた今はわかる。私は、キラキラな愛され女子ではなくて、ドロドロのサラリーマンだった。中年にさしかかっている今、「一部の中年男性サラリーマンから絶大な人気がある」というフミコフミオさんの日常に「わかるー」「ウケるー」なのは、自分の中身がキラキラなアラフォーなのではなくて、中年サラリーマンだから。胸キュンと共感を混同してはいけない。混ぜるな、危険。

 

ブログを書くようになって、投稿の最後をどう締めくくるかしっくりこないな、と思いながら書くことが多いことに気づき始めた。

作家のエッセイにしろ、上手だなと感じるブログの投稿の共通項は、終わり方がまとまっていたり、美しかったり、なるほどね!と思わせるところにある気がする。そう気づかせてもらったので、これからはエッセイの読み方も内容への共感だけじゃないようにしたい。

 

文章は難しい。でも書いていくことにきっと意味がある。しょせんシロウトなんだから、そんなに構える必要なんてない。感じたこと、考えたことを形にしていくために、書く。水蒸気を集めて雲ができるような感じ。フミコフミオさんが『神・文章術』で書いていたとおり、まずは書く。技術はあとで考えればいい。そのとおりだと思う。

 

家族は小説より奇なり。たぶん、そう。ほんと、そう。地雷踏まずに生きてくれようとするダンナさまをお持ちのフミコフミオさんの奥様が心からうらやましい。夫が埋めた地雷だらけの我が家の床をみて思う。アナタの衛生観念にはついていけないのよ。洗いたての洗濯物なんて、空中で畳まなくたって、床で畳んだって死にはしないのよ。乾いたタオルは空中ブランコ方式で畳まれなくても、乾いているというただそれだけでもうすでに存在意義があるじゃないの。

 

私も書こう。世の中は不条理なことだらけだけど、知りたいこともたくさんある。書いてみたいな、と思ったら、知りたいことも見つかってきた。アンテナが立ってきた。死んでる場合じゃない。

 

そう思った途端にポックリいかないように、横断歩道で車にはねられないように、駅の階段であわててすべってアタマ打たないように、日常生活いろいろ気をつけよう。

かわいい子には旅と一人暮らしを経験させよう

31歳の春、私は人生ではじめて引っ越しを経験した。実家をはじめて出た。結婚ではない。転勤での独り立ちだった。

 

新卒で入った会社での採用職種は「総合職」だった。男女関係なく総合職として採用される時代になってもう何年も経つ時代において、それは当たり前のことだと思っていた。2000年代アタマ。就職難の時代だった。「転勤もあるけど大丈夫?」「大都市だけじゃないよ、大丈夫?」「日向や志布志はいいところだよ、あったかいし、メシはうまい。でも、行くことになっても大丈夫?」役員面接でこれでもか、と念を押された。「内定を出しますが、明日また事務所に来られますか?」と総務の担当者に呼び出され、「本当に転勤大丈夫ですか?」「車通勤のところも多いですが、大丈夫ですか?」と、最後の最後、ゴリゴリに念を押された。

 

実は車の運転が全くダメだった。免許は取っても、怖すぎて全然乗れなかった。

「あー、それならムリっすね」とは言えなかった。似合わない黒い終活スーツ、足が疲れるだけの黒いヒール。真夏だった。暑い中、説明会と面接の日々。何社も受けては「ご縁がなかったものと」と言われる日々。就職浪人はできなかった。プータローも、ニートになることも親から許されなかった。ようやく言われた「内定を出します」のひと言に、迷ったり、考えたりするヒマがなかった。

「大丈夫です!!今は運転苦手でも、これを気にうまくなってみせます!私はどこでも生きていけるのを自分の強みだと思ってます!!」嘘ではない。たぶん。若さ故の根拠のない自信。でも、それでよかった。そういうエネルギーだけで前に進むことが許されていた年齢だった。

 

しかししかし、入社してみての配属は本社総務部。なにが志布志だ。都内ど真ん中じゃないか。しかも、転勤職種しか募集していないと謳っていたはずが、ガッチリ縁故採用で転勤しない職種のキラキラ女子の同期が何人もいて、総合職女子は私ひとり。完全に拍子抜け。そして貼られた「あの子はバリキャリ目指してる」のレッテル。でも事務用の「女子制服」の着用は指定される。完全に中途半端な立ち位置。ザ・昭和の会社。

 

しかも入社まもない仕事は、大量の雑用。

大量に届いた郵便物を各部署のボックスに分ける。

蛍光灯が切れたら新しいのと脚立をもって、静かに連絡をくれた部署に出向く。あくまで静かに。存在感を消して。「朝からチカチカしてたんだよね。もっと早く気付いて、こっちが連絡する前に取り替えてくれておくくらいの気配りができないとちょっとアレだよ」とか言われながら。制服、スカートなんですけど脚立乗るってどうなのよ。てか、脚立乗っても届かないし。

「総合職の給料もらっておきながら、アルバイトでもできる仕事しかしてないってどーなのよ」お局的お姉様たちからささやかれる陰口。女子更衣室、あるいは女子トイレで私が入っていくと、聞かれたか!?と急に静かになる空気。知りませんよ、こっちだって好きでやってるわけじゃない。業務内容に不備があるなら、総務部長に言ってくれ。

 

入社から何年か経ってもそんな生活の毎日。前任者の女性の先輩も総合職採用だった。「私は郵便屋さんになるために、この会社に入ったんじゃない」と、けっこうソッコーで転職していった。センパイの決断は正しかった。でも、私は「陰口上等。こんだけの仕事で給料もらえるなんて、超ラッキー!」と、なにも人生を考えずにぬるま湯ライフを充分に謳歌してしまった。運転もとりあえずはしなくて済んだ。考えてみれば、ある意味メンタル強いのかもしれない。

 

総務部では、その後いろいろなことを担当させてもらった。本社事務所の引っ越し。株主総会や取締役会の事務局。固定資産の管理。会計システムの変更。広報。採用。教育研修。もちろんペーペーの平社員で、ほとんどが「センパイのお手伝い」だけど、けっこう会社にとって重要な業務を経験させてもらったと思っている。気付けば10年近く総務部にいた。本来なら、もっともっと早く異動させてもらうべきだった。

 

異動先は関西だった。しかも営業部署ではなく、管理部門。がっかりだった。

私は、営業部門に行ってみたかった。自分の働く会社が、どうやっておカネを儲けているのかリアルに知りたかった。なにより、「地方の管理部門は、仕事のできないヤツがいくところ」という社内の空気があった。営業で多大な損失を出した人。顧客とのコミュ力がなく、「恥ずかしくて外に出せない」人。営業部門が稼いだカネで給料をもらっている、会社のお荷物たちの寄せ集め。あからさまに「かわいそう・・・なんの失敗しちゃったの・・・」と同情してくる本社から一歩も出ることのない職種のキラキラお局お姉様たち。「まぁ、キミにはしょせん営業の仕事はムリだよ。お客さんと絶対すぐケンカしちゃうでしょ」と、まだ実際はしてもない失敗を想定してマウントダメ出ししてくるゴリゴリの営業部署男性センパイ。

 

「キミはホントは営業部署に行くことになってたんだよ。だけど実は社内恋愛していたコがね、相手の男性を人事異動にしたら、結婚して彼について行くから辞めます!今すぐ辞めます!って言い出したんだよ。だから頼む。とりあえず人手が足りないから行ってくれ」

そういう理由であった。人事異動を司る総務部長直々に、送別会で最後の最後に聞かされた。入社10年にして再びやってきた、ザッツ雑用な役回り。そういう転勤だった。

 

本社への最終出社日。専務室に挨拶に行った。

「キミならすぐに向こうの水に慣れるよ。バリバリの大阪弁バイリンガルになれるよ」

どんな応援だ。

 

最終日はギリギリまで業務が終わらなかった。

「本社の決算をキッチリ締めてから行け」「ミス無く締めてから行け」

木曜日の夜だった。金曜日の朝に着任だった。無情だ。きつすぎる。「総合職は転勤あるよ、大丈夫?」役員面接での執拗なまでの確認は、ウソじゃなかった。東京駅で駅弁を買って、20時過ぎの新幹線に飛び乗った。

 

人は誰でも幕の内弁当のおかず。たいしたことない副菜でも、寄せ集めればそれなりに豪華になる。ごはんの端にちょんと乗った柴漬けでもいいけれど、ごはんの真ん中に乗った梅干しも目立つけど、どうせならメインの海老フライになってやる。

そう思えるほどの野心があったら、もっと得られるものが多かったかもしれない。私は、ただ会社に自分の運命を任せて流されていた。

 

金曜日の朝は駅から15分かかる道を、はじめて歩くその道を、わかりにくいから、と先輩が送別品として書いてくれた地図を持って進んだ。スマホのないガラケーの時代であった。

 

無難な初日だったんだと思う。歓迎会をやっていただいてホテルに泊まった翌朝早朝、まあまあ大きい地震が起きた。阪神大震災ではないが、淡路島付近が震源地だった。上司が電話をくれた。初対面で冷たいと思っていたお局様も電話をくれた。歓迎会で番号を交換させてもらっていてよかった。

 

借上社宅はJRの駅が最寄りだった。その最寄り駅からの行き方しか調べていなかった。そしてJRは地震で止まっていた。タクシーで向かった。あとから考えれば、阪急と阪神でも行けた。ホテルの人に聞けばよかった。タクシー代の3千円は授業料だ。わからなければ、素直に誰かに聞けばいい。

 

電気のブレーカーの場所がわからなかった。一般的にトイレの中にある、ということを知らなかった。電気がなかなかつかなくて泣きそうだった。諦めてトイレに入って箱を見つけた。

 

オートロックのマンションだった。

オートロックというのはホテルの部屋みたいなものだと思っていた。自分の部屋の玄関も鍵を家の中に忘れたら入れなくなると思っていた。オートでロックされるのは1階だけだった。マンション内で泥棒に入られる前に気づいてよかった。

 

トイレットペーパー

ホテルでもらえるような紙のスリッパ

捨ててもいいフェイスタオルサイズのタオル

 

この3つは手持ちで持っていたほうがいい。

タオルは床掃除にも使えるし、座布団代わりにも使える。床掃除したあとのタオルに座るのはイヤだというなら、掃除したあと時間が余ったら床に座って何かしようとするなら、2枚持っていったほうがいい。

一番大事なのは、「新居に到着してから、引っ越し業者が来るまでの時間をどう過ごすか?」をイメージして、何が必要となりそうか想像することだと思う。賃貸物件であれば、入居日当日に何かあったときのために不動産屋さんの連絡先はしっかりおさえておいたほうがいい。

 

その街には約5年住んだ。コロナ禍で行くことはできないけど、大好きな街になった。エセ関西弁で反感を買いたくなかったのでバイリンガルにはなれなかったけど、知り合いはまあまあできた。

 

知らない街で、一人で生活して、強さと優しさを学んだ。人は強いだけでも優しいだけでも生きていくのは難しい。娘にも息子にも一人で生活する大切さを経験させよう。かわいい子には旅と一人暮らしの経験を。

 

つらいことも色々あったけど、私は今、なんとかやってる。過去の自分が「まぁ今まで何とかなったし、なんとかなるんじゃん?」と言っている。

 

ということで、今週のお題「引っ越し」

感じたことを文字化する大切さに気づかせてくれる、今週のお題。自分に向き合う時間ってやっぱり大切。

【読書ノート】神・文章術 圧倒的な世界観で多くの人を魅了する

私がブログを始めたきっかけは、この方のブログを読んだことだった。

フミコフミオさん。はてなブログのブロガーさんで、普通のサラリーマン。「私も書いてみたいぞ」と思わせてくれた人で、私の読者購読リストに最初に登録した方。

本を出された、とブログで知ったので、図書館に購入リクエストを出してみたら買っていただけた。自費で買ったわけでない罪悪感はあるものの、図書館に置かれることで結果的に多くの人に読まれることになればそれはそれでいいだろう。

 

出会いはたしか何かのネット記事だった。ざっと読んで、この人はおもしろい、と思った。なんでもない会社生活でのことをこんなにおもしろく書ける人っているんだな、と思った。

ブログはやってみたいと、前々からうすらぼんやり思っていた。Facebookで日々の出来事を書いていたときに、知り合いが「ブログやってみなよ」と勧めてくれていたけど、不特定多数の人に見られる文章は書けません、と自分にリミッターをかけたまま、10年以上あっという間に過ぎた。

子どもが生まれて、とある育児関連の勉強会的なものに参加したときに、「ブログで育児日記書いてます」という方がいて、「ブログはいいですよ!!書きたいと思う気持ちがあるならぜひ!!」と熱く語られたけど、やっぱり不特定多数の人に読まれるものを自分が書くのはちょっと怖い・・・と、なんとなくズルズルと日々を過ごしていた。

夫は「ブログはやってみる価値あるよ」と勧めてくれて、はてなブログでアカウントを作るのを手伝ってくれた。「育児日記を将来子どもに残すために、共同でやろうか」というので、フミコフミオさんがペンネームの参考にしたという藤子不二雄的に、列車の名前を二つつなげたペンネームにしてブログを立ち上げた。

が、ネットにさらされる危機感とか、人の役に立つ記事を書く、みたいな話ばかりを夫から聞かされ、とりあえず怖いから非公開にしていつか公開・・・と思っているうちに、結局夫はひとつも記事を書かないという不満もあって、全く書かなくなってしまった。

 

私にとって、ある程度の人の目は大事だった。「ダイエットします!」と周りに宣言したほうが続けられる、というのと同じ現象かもしれない。

しかししかし、やっぱり人の目にさらされるのは怖いなぁ、と思いながら書いていた。

この本を読んで、何か少し吹っ切れた。

 

「誰かが読みたいもの」ではなく「自分が書きたいもの」を書こう。

カバーを開いたところに書かれたことばに惹きつけられて読み始めた。そうか、それでいいのか。もちろん、不特定多数の人の目に触れる上で気をつけたほうがいいことを知っておくことは大事だけど、基本的に自分のために書くのは自由なんだ。

 

モヤモヤした気持ちは、裏紙に書き捨てる。書くことで思考や感情が整理される。日記でそれをやっていたけど、残ってしまったものをあとで見てまたイヤな気分がブーメランのように返ってきて「オエッ」となってしまって、その場ではいいけどなんだかなぁ、と思っていた。

捨てちゃえばいいのか。裏紙で。書いて丸めて捨てちゃえばいいのか。書くことでストレスを整理すればいい。今度から夫への怒りはそうしよう。ボールペンのインク代なんてたいしたことないわ。問題はそれをいつやるかだけど、30分早く起きて、「イビキうるさくて眠れない」とか書いていたら、書くうちに何か見えてくるかもしれない。もしかしたら睡眠時無呼吸症候群なんじゃないかとか、健康を心配してあげたりできるようになるかもしれない。自分の気持ちを整理して言葉にして、自分にベクトルが向けられば、原因を自分に見いだして行動を変えられるかもしれない。それで自分のストレスが逃がせるのであれば、いいではないか。

 

文章の書き方がどうだとか、こんなことを書いたら読んだ人が気分を害するかもとか、読んだ人の時間を無駄にさせてしまってはとか、役に立つことを書かないととか、色々気にするから書けなくなるんだ。

「書くことはもっと自由でいい」なんて力強いメッセージだ。はてなブログと出版社がタイアップして出版された本だということなので、踊らされている感はあるけど、それならそれで楽しく踊ればいいわ。踊らにゃ損損。それで自分が楽しめるなら、それでいい。そう思いながら書き始めたら、案外すらすら書けた。

 

文章の技術的な方法を書いているわけではなくて、書き続けることについてのメリットが書かれている。それだけ、といえばそれだけ、なんだけど。ブログをはじめたばかりの私にとっては、まさに「自転車のペダルをこぎ出す勇気」になった。

 

「俺もブログやるわ!」と年の初めに息巻いていた夫は、聞くと結局1本も書いていないのだそうだ。今は3月になりましたよ。1年のうち6分の1が終わりましたよ。偉そうなことを言ってばかりで何も出来ないヤツの言うことなど、今後は聞き流そう。

「奥様がどれだけ理不尽な発言をしても非難したら負け」
そんな風に思って押し黙ってくれるような夫だったらどんなに幸せだっただろう・・・、と思うけど、私は私の武器を持って夫と戦えばいい。

 

「何ものにもなれなかった」という人は、単に「何かになろうとしなかった人」という行がグサリ。同級生の活躍を見て、あぁすごいな、私はどうしてあんな風になれなかったのかな、と思っていた。何かになろうとしていなかったんだ、私は。
先日、「今週のお題」で試験についてがテーマになっていたけど、何かになっている人はそれを目指してちゃんと努力したわけだ。
 
今から何かになれるだろうか。40歳すぎちゃったけど、まだ人生半分あるし。育休を利用して少し考えようという気持ちになってきた。本当に今の会社でいいのか。本当は何がやりたかったのか。夫の稼ぎには頼れないけど。これといった能力も資格もないけど。書くことで自分の強みを見つけていけるかもしれない。

今朝のあさイチ「生きがいを見つけられない女性たち」の特集で脳科学者の茂木健一郎も言っていた。「これからの人生を考えたら、今が一番若い」のだと。ヒザ打ちモノで納得のひと言。

 

フミコフミオさんみたいなセンパイが会社にいてくれたらいいのに。と、思ったところで気がついてしまった。

私も立派にセンパイとして活躍しないといけない年齢にとっくになっている、ということに。そうならば。そうであるならば。自分がそういう人になるのを目指すのもいいかもしれない。

 

フミコフミオさんが書いたブログを1冊にまとめたほうの本、『ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと・・・・・・と考えると胃に穴があきそうになる。』は図書館にあったので予約で取り寄せた。早速読んでみるとこちらもおもしろいので、それはそれで読んだら読書ノートに書くつもりで読んでいる。

 

書くことは完全に自由。アウトプットにブログを使おう。

自分で運転できる車のハンドルを他人に預けるな。限りある人生の、限りある自由。仕事でも、家庭でも、制限の多い日常。コロナでさらに制限が加わった毎日で、わざわざ自分の気持ちや表現にまで制限をかけるのはもったいない。
力強く、自転車のペダルを踏もう。船に乗り込み、オールを水に入れよう。その船を漕いでゆけ。おまえの手で漕いでゆけ。そうだよ、ボートは後ろ向きで漕ぐものなんだよ。後ろが見えなくても漕ぐものなんだよ。その昔、取引先の人に誘われて、取引先のローイングクラブに通っていたことを思い出す。婚活のために行っていた感があって、そういう意味ではまったく意味なかったけど、こんなところでひょっこり思い出すとは。人生、無駄なものはないというフミコフミオさんの話に妙に納得。
 
風を感じて進めそうな気がしてきた。一人で書くことは、花見でにぎわう千鳥ヶ淵で恋人たちが向き合って乗る中、ひとりでボートに乗るよりずっとずっと簡単。千鳥ヶ淵どころかあの手のボートは乗ったことないけど、今ならそれすらもできそうな気がしてきた。サエないオトコとボートに乗って船もろとも転覆するより、ひとりで乗り込んで転覆したほうがいい。誰のことも責めずに済むし、きっと納得もいくだろう。なにより挑戦した晴れやかな気分は残りそう。まだ寒いから絶対にやらないし、暖かくなってもやっぱり転覆はいやだから絶対やらないけど。

 

#読書

#フミコフミオ

#書くことは完全に自由

香りをネット検索する

どんなにウェブ検索が発達しても、匂いそのものは検索できない。

言語化されたもの、あるいは静止画像でないと検索できない。

「こんな香りですよ」と説明を読むことはできても、実際にどんな香りなのかウェブ上で嗅ぐことはできない。そんなことを実感した一件の話。

 

かなり前の話だけど、美容院に行ったときのこと。

シャンプー中に顔にかける布に香りをつけられます、3種類のうちどれがいいですか?と聞かれた。グレープフルーツ、ベルガモット、グリーンティーからお選びいただけます、とのこと。

私は頭痛持ちで柑橘の香りが時に引き金になるので、グリーンティーを選んだが、シャンプー中に「ところでベルガモットって、なんだっけ?」と気になって仕方ない。

 

シャンプーが終わってから、おずおずとベルガモットの香りについて聞いてみた。

「ライム系、ですかね。柑橘系です」とのこと。

なるほど。柑橘系なのか。

そうなるとグレープフルーツの香りとどう違うのかさらに気になるが、嗅ぎ比べるのはさすがにお願いできないよなぁ、と思っていたら、「ベルガモット嗅いでみます?」と言ってくれた。

おぉー、さすがサービス業やな。嗅ぎ比べまではできなくてもそれで充分だわ。

 

コットンにちょっとスプレーしたものをいただいた。なるほど、ライムといえばライムだわ。グレープフルーツとはちょっと違うわ。

 

それにしても柑橘系を2つ。ローズとかラベンダーとかお花系があってもよさそうなものを、柑橘系2種類って。と思うが、リフレッシュ系なのか、何か理由はあるんだろう。

 

家に帰って、夫に「ベルガモットってなんか知ってる?」と言いながら調べてみた。

「その香りはエレガントで、オレンジやレモンのような柑橘の香りとフローラルな香りも併せ持つ気品ある香りです」と、アロマオイルのサイトに書いてあった。

エレガントで気品ある香り、ってどんなや。フローラルな香りって言っても花の香りはいろいろあるやん。

香水などニオイモノが苦手な私としてはついついツッコミたくなる説明だけど、匂いそのものは検索しても文字化するしか説明できないので、そんなように書かざるを得ないのかもしれない。

 

検索している私の横で、夫のひとこと。

「だからオレのおならの匂いも検索されない」

 

それならどんな匂いか文字化して世の中にバラしてやる。

と、一瞬思ったが、文字化するためにはまずじっくり嗅がないといけないことになるのでやめさせてもらうわ。

 

ベルガモット

運転できる人がうらやましい

恥ずかしい話だけど、運転免許の実技試験に計3回落ちている。

教習所内で1回。バックしてポールに当たってしまって即失格。

公道での試験で2回。1回目は信号で「行けるだろ、これ」と思っていたら助手席の教官がブレーキ踏んでアウト。「今のは行っちゃダメでしょ」って。2回目は左からやってきた自転車のおじいちゃんが前を横切って、教官が先にブレーキ踏んでアウト。

 

うすうす、「運転向いてないな・・・」と思いながら教習所に通っていた。将来の就職のためにとりあえず取っておくか、と通っていた。目の不自由な父は運転ができない。母も運転はできない。誰も運転できない家族の中で自分が運転できたらいいな、と思った。車のCMみたいに景色のいいところをすーーーっと走れたら気持ちいいだろうな、と思っていた。

でも、教習所で車に乗るのが楽しいとは思えなかった。怖い怖い、と思って乗っていた。そんなこんなで試験も落ちるからますます向いてないことを自覚したものの、払ったお金がもったいない。

なんとか取った運転免許は、晴れて高額な身分証明書となった。無くしたら手続きが面倒なので、パスポートと共に大事に引き出しにしまわれた。なんならパスポートのほうが断然出番が多い学生生活だった。

 

そうはいっても社会人になると身分証明書として出番がやってきて、いまはちゃっかり財布に収まっている。

しかし当然、いぶし銀的なゴールド免許。世の中に「一度も運転席に座ってエンジンかけたこともないままゴールド免許です」という人は一体どのくらいいるのでしょう。なんか、すんません。返上したほうがいいかな、と思いつつ、いつか乗るかも、いつか乗るかも、と思っていちおう持っているのです。

そういえば、一度、ペーパードライバー講習に行ったことがあった。仕事で運転が必要になって、やむなく行った。が、教官に「あなた向いてないよ。会社に仕事変えてもらうように言ったほうがいい」とハッキリ言われ、そのまま上司にそう伝え、部署のお荷物となりながら仕事内容を変えてもらったのだった。

 

なにかできないことがあるって、コンプレックスになるよね。でも仕方ないわ。世のため、人のため、なにより自分のためだわ。

あぁ。でも運転できる人がうらやましいのです。能力高いな、って思うのです、一度にいろんなことを気にすることができるわけじゃないですか。運転ってそういうことが求められるわけじゃないですか。それができないって、なんだか人としてダメな感じがすごくしてしまうんです・・・。

 

「運転は慣れだよ」

「子どもの頃から乗り慣れてないと、なかなか運転するのは難しいよ」

「運転が好きな人とつきあって、助手席に乗るようになったらきっと楽しくなるよ」

「外車運転する人だったら、自分は運転席側で運転している感覚が身につくよ」

などなど周りから言われたが、結局外車を乗り回すような人どころか、運転が好きな人ともお付き合いする機会はなかった。結婚した男は「運転免許に高額費やすくらいなら電車に乗る」という鉄道オタクで、相変わらず車と縁のない生活を送っている。

 

あぁ。でも運転ができたらいいなぁ、とやっぱり最近思うのです。子どもができて、そう思うのです。所有している必要はなくて、カーシェアで必要なときにパッと運転できたら、って思うのです。

ということで、今週のお題「試験の思い出」で思うこと。

運転できる人がうらやましい。

【絵本ノート】すぐそばにある。働きすぎのパパのおはなし

市川海老蔵が絵本を手がけた、というので図書館で検索したらまだ購入されていなかったので、購入リクエストを出したら買っていただけて、一番で手にできた。

 

ちょうど保育園の節分行事で鬼を見たばかりの2歳児・H1号はとてもこの本を気に入った。どこを気に入ったか、というとネタバレになってしまうのでくわしく内容は書かないけど、とにかく気に入った。

 

働きすぎだよな、と思う。私も、夫も。

私は元々子どもが苦手なので、子どもと過ごすよりも家事をしていたほうが気がラク。仕事をしているほうが気がラク。母であるより、会社員である自分のほうがしっくりくる。保育園バンザイ。でも、ちょっと考えさせられた。それでいいのか?って。子どもはどんどん大きくなる。おかーさんおかーさんって言ってるときなんて、あっという間に過ぎる。

 

足の上に乗ってきて、「これ、よんでー」と言ってくる。その体温。その重さ。いつか忘れてしまうんだろうけど。

 

すぐそばにある。この日常が自分の日常。

そんなことに気付かされた1冊でした。

 

#すぐそばにある

#市川海老蔵

#絵本

【読書ノート】ゆるめる準備

川田裕美の『ゆるめる準備』を読んだら、元気が出た。

こういう人と仕事がしたい。できればお友達になりたい(笑)

 

場を良くするため、いい番組にするためにやっていること、その場において自分に何ができるかを考えること。

読んでいて、性格的に自分に似ている!と思う部分も多くて、あーなるほどな、こんなふうに努力されてるのか、と思うところもたくさんあった。

好かれるためには、嫌われないためには、ということではなくて、自分を偽るわけでもなくて、でも努力はしていて、でもでも「私、がんばってます!!」と言いすぎている感じでもなくて。

 

失敗したときの反省力がすごい。活かしていて、逃げてない。

とうしたらうまくいくか、自分の欠点から探ってるってことは、欠点から逃げてもいないのよね。

私は逃げてばっかりだなぁー。準備もせずに、言い方も考えずに、言いたいことだけ言って、相手が自分の思うように動いてくれなくてイライラしてばっかり。

 

ちょっといいな、やってみようかな、と思ったところに付箋を貼りながら読んだら、バシバシついた。

 

芸能人とかテレビに出てる人の本なんて、どうせ好感度あげるために出してるんでしょ、と性格悪いことを考えながら読んでいたけど、「おぉ、これは参考になりそう!」と思えるところがたくさんあった。

そう思えるなら、好感度の戦略にハマってもいいや。

 

将来何になりたいかまだ決まっていない高校生、これから就活する大学生、自分の仕事ぶりとか職場の人間関係に悩んでいる20代30代の女性、真面目にやってるけどなんかうまくいかない、とか、自分らしさってなんだろ?とか思ってる人には刺さるものがあるかも。

 

私、努力してないなぁ。

私のいいところって、どこかなぁ。

私のことをよく知っている親や友人に会いたくなった。

 

「川田さん」

気づいたら、いつの間にかそう呼んでた。

エッセイを読んでいてもそうなんだけど、気に入ると書いた作家さんのことを「さん付け」で呼びたくなるのよね。

お会いしたこともないのに、なんだかそんな親近感がわきました。こんなお友達がぜひとも欲しい。最初と最後に2度言っちゃったわ。

お手本にしたい人、また1人見つけました。

 

#川田裕美

#ゆるめる準備