【読書ノート】神・文章術 圧倒的な世界観で多くの人を魅了する
私がブログを始めたきっかけは、この方のブログを読んだことだった。
フミコフミオさん。はてなブログのブロガーさんで、普通のサラリーマン。「私も書いてみたいぞ」と思わせてくれた人で、私の読者購読リストに最初に登録した方。
本を出された、とブログで知ったので、図書館に購入リクエストを出してみたら買っていただけた。自費で買ったわけでない罪悪感はあるものの、図書館に置かれることで結果的に多くの人に読まれることになればそれはそれでいいだろう。
出会いはたしか何かのネット記事だった。ざっと読んで、この人はおもしろい、と思った。なんでもない会社生活でのことをこんなにおもしろく書ける人っているんだな、と思った。
ブログはやってみたいと、前々からうすらぼんやり思っていた。Facebookで日々の出来事を書いていたときに、知り合いが「ブログやってみなよ」と勧めてくれていたけど、不特定多数の人に見られる文章は書けません、と自分にリミッターをかけたまま、10年以上あっという間に過ぎた。
子どもが生まれて、とある育児関連の勉強会的なものに参加したときに、「ブログで育児日記書いてます」という方がいて、「ブログはいいですよ!!書きたいと思う気持ちがあるならぜひ!!」と熱く語られたけど、やっぱり不特定多数の人に読まれるものを自分が書くのはちょっと怖い・・・と、なんとなくズルズルと日々を過ごしていた。
夫は「ブログはやってみる価値あるよ」と勧めてくれて、はてなブログでアカウントを作るのを手伝ってくれた。「育児日記を将来子どもに残すために、共同でやろうか」というので、フミコフミオさんがペンネームの参考にしたという藤子不二雄的に、列車の名前を二つつなげたペンネームにしてブログを立ち上げた。
が、ネットにさらされる危機感とか、人の役に立つ記事を書く、みたいな話ばかりを夫から聞かされ、とりあえず怖いから非公開にしていつか公開・・・と思っているうちに、結局夫はひとつも記事を書かないという不満もあって、全く書かなくなってしまった。
私にとって、ある程度の人の目は大事だった。「ダイエットします!」と周りに宣言したほうが続けられる、というのと同じ現象かもしれない。
しかししかし、やっぱり人の目にさらされるのは怖いなぁ、と思いながら書いていた。
この本を読んで、何か少し吹っ切れた。
「誰かが読みたいもの」ではなく「自分が書きたいもの」を書こう。
カバーを開いたところに書かれたことばに惹きつけられて読み始めた。そうか、それでいいのか。もちろん、不特定多数の人の目に触れる上で気をつけたほうがいいことを知っておくことは大事だけど、基本的に自分のために書くのは自由なんだ。
モヤモヤした気持ちは、裏紙に書き捨てる。書くことで思考や感情が整理される。日記でそれをやっていたけど、残ってしまったものをあとで見てまたイヤな気分がブーメランのように返ってきて「オエッ」となってしまって、その場ではいいけどなんだかなぁ、と思っていた。
捨てちゃえばいいのか。裏紙で。書いて丸めて捨てちゃえばいいのか。書くことでストレスを整理すればいい。今度から夫への怒りはそうしよう。ボールペンのインク代なんてたいしたことないわ。問題はそれをいつやるかだけど、30分早く起きて、「イビキうるさくて眠れない」とか書いていたら、書くうちに何か見えてくるかもしれない。もしかしたら睡眠時無呼吸症候群なんじゃないかとか、健康を心配してあげたりできるようになるかもしれない。自分の気持ちを整理して言葉にして、自分にベクトルが向けられば、原因を自分に見いだして行動を変えられるかもしれない。それで自分のストレスが逃がせるのであれば、いいではないか。
文章の書き方がどうだとか、こんなことを書いたら読んだ人が気分を害するかもとか、読んだ人の時間を無駄にさせてしまってはとか、役に立つことを書かないととか、色々気にするから書けなくなるんだ。
「書くことはもっと自由でいい」なんて力強いメッセージだ。はてなブログと出版社がタイアップして出版された本だということなので、踊らされている感はあるけど、それならそれで楽しく踊ればいいわ。踊らにゃ損損。それで自分が楽しめるなら、それでいい。そう思いながら書き始めたら、案外すらすら書けた。
文章の技術的な方法を書いているわけではなくて、書き続けることについてのメリットが書かれている。それだけ、といえばそれだけ、なんだけど。ブログをはじめたばかりの私にとっては、まさに「自転車のペダルをこぎ出す勇気」になった。
「俺もブログやるわ!」と年の初めに息巻いていた夫は、聞くと結局1本も書いていないのだそうだ。今は3月になりましたよ。1年のうち6分の1が終わりましたよ。偉そうなことを言ってばかりで何も出来ないヤツの言うことなど、今後は聞き流そう。
今朝のあさイチ「生きがいを見つけられない女性たち」の特集で脳科学者の茂木健一郎も言っていた。「これからの人生を考えたら、今が一番若い」のだと。ヒザ打ちモノで納得のひと言。
フミコフミオさんみたいなセンパイが会社にいてくれたらいいのに。と、思ったところで気がついてしまった。
私も立派にセンパイとして活躍しないといけない年齢にとっくになっている、ということに。そうならば。そうであるならば。自分がそういう人になるのを目指すのもいいかもしれない。
フミコフミオさんが書いたブログを1冊にまとめたほうの本、『ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと・・・・・・と考えると胃に穴があきそうになる。』は図書館にあったので予約で取り寄せた。早速読んでみるとこちらもおもしろいので、それはそれで読んだら読書ノートに書くつもりで読んでいる。
書くことは完全に自由。アウトプットにブログを使おう。
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