母は女優になった気分で
イマイチ実感はないが、母の日に何かを贈る側だけでなく、贈られる側にもなった。去年までは夫がケーキを買ってきて、「それ、自分が食べたいだけやん」というテイストだったが、今年は2歳半を過ぎた第1子が夫と散歩に行ったついでに花を買って帰ってきた。
「お母さん、どれが好きだと思う?」と夫が聞くと、「あか!」と言ったのだそうだ。しかしそれはキミが好きな色だ。
そう。私は赤い花が好きではない。
というか、そもそももらいものとしての花そのものにときめかない。
花瓶をわざわざ出さないといかん。
日々、花の水を取り替えるのも、私。
1日の中で仕事が増えるだけだろ、と思ってしまう。心がすさんでいる人間の考えることなのかもしれない。
そんなことを2歳児にいうわけにもいかないので、「わぁ!うれしい!ありがとう!」と言うしかない。作り笑いだけど、まだそこらへんの演技はバレない。家の中でもマスクをしたい。そうすればもっとバレなくて済むだろう。
保育園の先生たちは笑顔がうまい。テンションも高く、大げさなくらい子どもに接している。
すまんね、子どもたちよ。私はそういうタイプの人間じゃないのだよ。
「子どもたちが寝ている間にゆっくり買い物しておいで」と言ってもらったので、久しぶりに子なしで近くのスーパーに行った。
ゆっくり買い物、がデパートで洋服を買うのではなく、近所のスーパー。重い荷物を持ちながら、「いや待て、これなら夫に行ってもらってもよかったのでは」と頭をよぎったが、2種類ある子ども用の買い物カゴを「こっちがいい」「あ、やっぱりこっちがよかった」と言われたり、「カートに乗りたい」と言ったかと思えば「やっぱり降りる」と言われたりで、入口から数メートルの地点でもめるヤカラもいないし、自分の食べたい具材をゆっくり選べる買い物はやはり天国だった。
8分の1にカットされたスイカが割引になっていたので、迷わず買った。帰宅すると子どもが昼寝から起きていて、私の自由時間はあっけなく終了。
ガッカリ感を隠して「スイカ買ってきたよー!!」と明るく振る舞った。
母は女優にならねばならん、と思い知らされた母の日だった。
【読書ノート】ライオンのおやつ
図書館でかれこれ2年以上待った。1,000人以上待っていた状態で夫が予約していた。気長に待つか~、と生まれたばかりの子どもの図書館カードで予約していた。あれから、もう2年半。まるでタイムカプセルを開けるかのような錯覚。
どんな話なのか、全く知らなかった。夫も全く知らないで、本屋大賞で2位だったし、小川糸だし、と予約していたらしい。先に読み終わった夫が「いい話だったから読んでみて」と言ってきたので、連休中に天気が良くないのを言い訳にでかけもせず、子どもにパズルやらシールやら渡して、スキあらばと読んだらあっという間に読めた。
ホスピスの話なんだけど、と夫が言っていたので、号泣する用意はできてます!と読んでいたが、案外ティッシュの出番は少なかった。期待しすぎていたのかもしれない。2日前に読んだ『クジュラの奇跡』のほうが思いがけず泣けた。ただ、いい話だとは思った。
”端から端までクリームがぎっしり詰まったチョココロネみたいに、ちゃんと最後まで生きることが目標”ー主人公・雫の言葉が妙に心に残った。そんなチョココロネみたいな人生じゃないな、いまのところ私の人生。ただ、毎日を生きているだけの人生。とりあえずクリームは入ってますけど、と言えるかどうかもあやしい。
33歳、独身女性。末期がん。瀬戸内海のレモン島にあるホスピスで最後の時を過ごすと決めた雫。少し境遇は違うけれど、先日乳がんでステージ4とFacebookに投稿していた友人のことをどうしても考えてしまう。本の内容が内容なだけに、それほどまでには親しくない彼女に「読んだことある?」とは聞けない。
私は、あと何年生きることができるだろう。
夫の母親は40代半ばで亡くなった。ガンだったらしい。見つかったときにはもう手遅れだったのだという。夫はもう高校を卒業していたけれど、高齢出産の私においては、お母さんの亡くなったタイミングはまだ子どもが小学生になってない。到底、死ねない。
雫がホスピスでかわいがっている犬の描写と、子どもたちの姿が重なる。フワフワの髪の毛。モニモニと揉むと気持ちよさそうに笑う顔。スヤスヤ隣で眠る寝息。「ママー!!」とドタドタ走り寄ってくる姿。死ねない死ねない。子どもが特別欲しかったわけでもないし、子どもがとても好き、というわけではないし、すっごくかわいいと思っているわけでもないけど、死ねない死ねない。
ライオンの家、というのがホスピスの名前で、そこで出される「日曜日のおやつ」が実にドラマチック。思い出のおやつをリクエストできる制度で、忠実に再現してもらえるように細かく味や見た目もリクエストで書くことになっている。
私にとって、最後に食べたいおやつは何だろう。
子どもの頃よく食べたおやつは、チョコパイだった。もちろん市販のものである。いや、でもあれをリクエストするほどではないな。
とするとやっぱりあれかな、と思う。母がよく作っているパウンドケーキ。レーズンがたくさん入っていて、あんまりお酒はきいていなくて。子どもの頃はちょっとパサついているのがイヤで、あんまり食べなかったんだけど。でも一緒に作るのは楽しかった。バターと卵と砂糖を電動ミキサーで混ぜて、ミキシングにくっついたそのクリームを指ですくってなめるのが好きだった。とてもとてもお行儀のよろしくないその行為を、母は笑いながら許してくれた。許すどころか「手伝ってくれたご褒美」くらいに言ってくれたような気がする。あのクリームがとにかくおいしかった。お砂糖がちょっとざらっとするところも。卵黄が微妙にミキシングの上のほうに飛んで固まっているのも。
あのパウンドケーキ、今度ちゃんとレシピもらおう。
幸いにも、まだ母は生きてる。そして、まだあのパウンドケーキ、年に何回か作っているらしい。私の最後のおやつどころか、母が死んだら永久に食べられないのは困る。
そうなると、あれだな。子どもにとって「手作りのおやつ」っていうのはけっこう大事なんだな。
子どもたちのおやつは全然作ったことがなく、市販のクッキーに頼り切りの私。ドキリとした。まぁでも私が作らなくても。たまに夫がホットケーキ焼いてくれてるし。お菓子担当は夫にお願いしよう。
人生の最後をどこで過ごすか。瀬戸内海の海を見ながら、何に食べられてしまうでもなくおびえることのない百獣の王・ライオンのように、何も恐れず死を迎えられる「ライオンの家」が本当にあったらいいな、と思う。調べてないけど。
小川糸だし、ひょっとして映画化かドラマ化されたか?と思ったら半年前にNHKでやっていたのね。最近全然ドラマを見れないので、全くチェックしてなかったけど、読む前に見なくて正解だった。キャストが私のイメージと違いすぎる。マドンナ役が鈴木京香というのは全然しっくりこない。吉永小百合って感じでもないけど、年齢的に鈴木京香では若すぎる。
小説はやはり、映像化される前に読むに限るし、そもそも安易に映像化していただくのはちょっとどうかと思ってしまう。
第1子が生まれたタイミングで予約した本だったが、今ではもう一人子どもがいる。子どもを持つと本の感想も変わってくるし、気づきも変わる。
予約の本が届くタイミングは、占いめいていておもしろい。案外、必要なときにやってくるものなのかもしれない。
【読書ノート】それは「叱る」ことではありません どこまで叱るべきか迷うお母さんへ
読みたい本は色々あるけれど、物理的に困っていたので図書館から借りている本の山から手に取った。2歳児のイヤイヤにほとほと疲れてしまって、怒るのも疲れるし、かといってダメなものはダメと言わないといかんし、と困ってしまったのだ。
Eテレの「すくすく子育て」にも出てくる保育士の柴田愛子先生の著書。もう、本棚に手を伸ばしながら「たすけて~愛子センセー」という気持ち。
気に入らないことがあると叩いてくる。
「痛いよ、やめて」と言っても、にやにや。
何を言っても「イヤー!!!!」と言って全く言うことを聞かない。
家の中でそれもつらいけど、外でそれをされるのはもっとつらい。
疲れる。本当に疲れる。金曜日が来るとげんなりする。あぁ、土日が来る。保育園のない土日が来る。これを毎日やっている専業主婦の皆さんを心から尊敬する。私にはムリ。
結論から言うと、助かりました。たぶん。とりあえず。少なくとも気持ちが落ち着いた。
愛子先生によると、叱る場面は2つだけ。「命に関わる危険があるとき」と「おカネに関すること」。ザッツ・オール。公共マナーも、お友達とのやりとりも、「叱ることではありません」なのだと。
2006年出版なので、もうかれこれ15年以上前だけど、「そうなんですよ、ホント」と思うことばかりだった。世間に迷惑をかけないようにしないといけない、とか、周りの人に不快な思いをさせてはいけない、とか、一歩外に出ると気にしないといけないことのなんと多いことか。
社会性、というのは2歳児に言い聞かせるのはムリなのだ。全く言わないわけにもいかないし、ダメなものはダメなんだけど、しょせんムリなのだ。周りの人がどうだとかよりも、お母さんがイヤなことは「イヤ」と伝えよう。それでよし。
世間にはいろんな人がいるので、迷惑だと思う人もいれば、思わない人もいる。他人の顔を気にするより、わが子の気持ちを気にしよう。そう言ってもらえて、少し心が軽くなった。
友達は100人もいなくていい。うわべだけでつきあうだけの友達が100人いても、何の役にも立たない。本当に心地いいと思える友達が何人かいればそれでいい。
賛否両論はもちろんあると思う。そんな放任でいいのか、という議論はあると思う。甘やかしと後ろ指さされるかもしれない。
だけど渦中の人としては、とりあえず心が救われないと日々生活できない。
よくよく考えると、私自身の思い通りにならない状況でイヤイヤを発動されると「ピキッ」っとキレてしまう。
思い通りにならないことを泣いてわめくのが2歳児の状況。ならば、キレて八つ当たりする私も子どもと同じじゃないか。2歳児と同じなのか…と、軽くショックなことに気づいてしまった。
【読書ノート】深爪式声に出して読めない53の話
1ヶ月くらい前だろうか、LINEのBOOKウォッチで、親になってもわからないという親の気持ちを代弁した本が紹介されていて、おもしろそうなので図書館で予約してみたが、それは市内に1冊しかなく、けっこう待ちそうだったので同じ著者の他の本も一緒に予約した。そうして届いたのがこの本。
一般の主婦、アルファツイッタラー、ブロガー、とのこと。フミコフミオさんの女性バージョンか、最近こういう人多いんだな、と思っていたら、同じ出版社だった。
すでに一般ウケしているもので手っ取り早く金儲けしようとするのはいかがなものか、と出版社の姿勢に首をかしげたくなったが、そもそも商売なんてそんなもんだよな、売れなきゃ意味ないし、とも納得した。
いつも夜はぐっすり眠る我が家の幼子たちのうち、2号が珍しく夜泣きをして、新生児以来の3時間おき授乳に追われ、少し眠りたいけど夫のイビキがうるさすぎて眠るに眠れず、図書館から借りた本の山から手に取った。
蛍光ショッキングピンクの表紙に、このどうにもイライラする思いをどうでもよく解消できそうな予感を感じた。言葉を選ばずに言えば、アタマを使わずにフラっと気軽に読めそうな本を読みたかった。
家族が寝静まってからこっそり読んでください、的な前置きのとおり、エッチな下ネタ満載の内容から始まるので刺激強めだった。さすが、表紙がショッキングピンクなだけあるわぁー、と自分の若かりし頃の苦い思い出を思い出しながら読んでいたら、寝不足になって寝坊してしまった。
つまるところ、それくらいおもしろかった。
下ネタの話は刺激が強すぎたが、親に対する考えとか、世の中に対するモノの見方とか、文章うますぎてあっという間に読んでしまった。
私はツイッターをやっていないので、ツイッターの世界は新鮮だった。ツイッターに投稿してる人はハートの強い人だと思っている。ただの独り言でありながら、世間に向けて発信してしまっている時点でただの独り言じゃないし、そうなると誰かの返信が欲しくなりそうなものだけど、誰もコメントしてくれなかったら寂しさに拍車がかかりそうだし、的外れなコメントを寄せられても対応に困りそうだよな、と思って「よくやってるよな」と常々思っている。
140字で言いたいことを言い切る、という技術もすごい。言いたいことがまとめられない私には到底ムリだ。
外出先でなにか嫌な思いをすれば、LINEで夫にツイートする。まぁまぁ早めのタイミングで返信がくる。それでとりあえずいいわ。という自分の環境は案外幸せなのかもしれない。
夫への不満を世の中に垂れ流すのは「そんなオトコしかつかまえられなかったんです、ワタシ」と言っているようなもの。という深爪さんの斬り方には妙にハッとさせられた。
夫への不満は多々あるし、そんなオトコしか捕まえられなかった、というか、そんなオトコにまんまと捕まってしまった自責の念はものすごくあるけれど、話を聞いてくれる夫が死んだら私もツイッターやるかもしれない。ドアを閉めていてもイビキがうるさい夫に、「ありがとう!キミのおかげで毎日楽しくやれてるよ!」と言う気には到底なれないけれど、せいぜい有効活用しよう。夫とハサミは使いよう。
深爪さんの本は、あと1冊手元に届いているのを読むのも楽しみだし、あと2冊予約を待っている状態なのも届くのが楽しみだ。
しかし困ったことに、アタマが下ネタに感化されてしまった。
私が若かりし頃は下ネタを飲み会の席で言ってもハラスメントで訴えられるリスクはそこまででもなかった。かつて飲み会で下着の色を平然と聞いていた先輩と久しぶりに同じ職場になり、なんと管理職になっていたので「コイツ大丈夫か」と思っていたら、さすがに気をつけていると本人が言っていた。そんな時代だからツイッターとかブログで下ネタを書くのがウケるのかもな、あの先輩も陰でコッソリ書いて気分を晴らしているに違いない、もしかしたら私のことも書かれているのでは、と妄想が膨らんでしまった。育休中なので顔を合わせることはないが、頼むから復帰のときにはどこか別の職場に転勤になっていていただきたい。いや、これはまだ復帰まで1年あるのでそのうちにでも忘れてしまおう。
0歳児のムチムチ肌を揉んでいて、オトコの人が胸を揉みたがるのはこういうことなのか?と思うようになってしまった。せいぜいパン生地こねてるときの感触に似ているな、と思うところまでにとどめておきたく、気づきたくない一面であった。0歳児は男子なので、オムツ替えのたびに深爪さんの性癖を思い出してしまう。これについてはしばらく忘れられそうにない。
若かりし頃は下ネタが通じるオンナだと飲み会で重宝された。しかし今は飲み会に誘われることもなく、生かせる場面が思いつかない。下ネタは夫に言うと「誘ってるのか?」的な捉え方をされて心底めんどくさい。こういうとき、ツイッターの出番か?深爪さんのフォロワーになるだけでも楽しそうか?と一瞬思ったが、それも何かとめんどくさいと思ってしまってやっぱりツイッターに手を出すのはやめた。
子どもたちがスマホ使う年齢になったら、SNSとの付き合い方は考えざるを得ない。人生遅まきながら親になって、考えさせられることのなるたる多さ。何も考えずにボーッと生きているほうが幸せだったかというとそうでもないけれど、正直ついていけない。ブログを書くことで、少しでも自分の心の整理ができるようになりたいものだ。
#深爪
#気づきたくないけど気づいてしまった
【絵本ノート】もくもくをつかまえた
ヨシタケシンスケの初の翻訳本。フランス語ができるってことなのかしら、ヨシタケシンスケ。
もくもくは、ただもくもくしたいだけ。
いいわ。好きだわ。こういうめんどくさい感じ。
ちょっと哲学感じちゃう雰囲気。私ももくもくしたいわ。なんかわからんけど、もくもくしたいわ。
抽象的なおはなしなので2歳児はまったく興味を示さなかったけど、私はなんだかほんわりとした気分になった。
そう思ったのは、もしかすると声に出して読んでいたからかもしれない。
「もくもく」という音の響きがそんな気分にさせたのかもしれない。
それで、原書のタイトルを調べてみた。
SI TU TROUVES UN NUAGE
私はフランス語ほとんどわからんので、グーグル先生の出番です。
「もし君が雲を見つけたら」
普通に訳すとそういうことになるらしい。たしかに内容はまさにそういうお話だったわ。
それをさ「もくもく」って言っちゃうヨシタケシンスケ。さすがです。
絵本は語感が大事よね。大人が子どもに対して読む、つまり声に出して読むのが前提なんだな、と思い知らされました。
何歳になったらこの本の内容について子どもと意見交換できるかしら。うちの子はどんな感想を言うかしら。その日をちょっと楽しみにしている。
そんなわけで、この本のメモをEvernoteに。リマインダーを2年後にセットして保存した。
#もくもくをつかまえた
#もくもくしたい
【読書ノート】共働きだからできる中学受験必勝法!
中学受験にやたら関心の高い夫が、「とりあえずざっとでも読んどいて」と図書館で借りた本を差し出してきた。
2歳やぞ。まだ。10年後の中学受験より、まずは目先のイヤイヤ期対策。そして目先の(主に夫への)アンガーマネジメントのほうがよっぽど重大で、読みたい本は山積みなのに、中学受験の本を読んどけって。
怒りのバロメータがヒュンと音を立てそうになる中、仕方ないので文字通りざっと読んだ。夫の熱量に合わせて行動しておくほうが、なにかと面倒が少ない。というか、こちらが読んでもいない内容をわーわーと話されて「こういうことは間違っていると思う」とかなんとか言われるのをただ聞いているのもなかなか苦痛なのだ。
先の未来を予想するというか、想定しておくのは大事なことではある。いうならば、先取り学習。
夫の「間違っていると思う」というポイントは2点。
ひとつは、父親と母親の役割をわけている点。家庭学習は母親メインで、父親はここぞというときにだけカツを入れたりするのがよい、的なことが書かれていて、夫的には「どちらも関わるべきだし、どちらかやれるほうが家庭学習は見るべき」と思っているらしい。
夫の言うことももっともだが、役割をわけていたほうがおそらく子ども的には混乱しないのでは、と思う。あっちからもこっちからも「勉強せい!」と言われていたのでは子ども的にキツイことこのうえない。どちらかが発破を掛ける役になる、というのはきわめて納得の話。
二つ目は、塾に通うことが前提になっている点。夫的には、「塾なんていらん。オレが教える」
いやいやいや。フルタイムでいつそれやるのよ。24時間の中でどこでそれをやるのよ。アウトソーシングできるところは外注して、うちでしかできないことをうちでやりましょう、と言っているように読める内容だったので、これも私にとっては納得の話。
ということで、読んだ感想を夫に伝えるにあたり、いかにも喧嘩になりそうな予感がするので、「読んだよ」そして「役割の件はキミのいうことももっともだけど、どちらも叱ることになるのは避けたい。あと、塾に関しては、週1とかの利用で外注はアリだと思うから、追々研究しよう」と、あくまでやんわりと伝えたところ、意外にも「それもそうだね」という返答でこの話は終わった。
いやしかし、この本によるとお母さんの役割が実に多い。というか、家庭学習のメインはお母さん。いやいやいや。私、ムリよ。算数できないし。小3で脱落してるし。いちおう私立の中学出身だけど、プリント学習の塾的なヤツは通信だったし、いわゆる進学塾なんて行ったことないし。そう言っちゃうとさぞすごい感じするけど、私が受けた学校は小論文という名のただの作文と面接だけ。当時の倍率はたしか2倍以下。思えば小論文対策で、ニュースの内容でどう考えるか、とかあれこれ直前にやってはみたけど、フタをあけてみたら作文のテーマは「最近の楽しかったこと」だったわ。何を書いたか忘れたけど、何かの学校行事を書いた気がするわ。面接も時事問題を練習してみたけど、実際聞かれたのは「お母さんのいいところと、ちょっと困るところはどこですか」と、「この学校に入って楽しみにしていることは何ですか」だった気がするわ。
しかししかし、夫が担当するとなると、「オレはもっとできたのに」とか言い出すんじゃないかと心配になる。「オレの子なんだからできるはず」というのも言い出しかねないけど妙な励ましで、私から見たら「アンタが何ができるんだよ」とツッコミどころ満載。たしかに算数とか数学はできる。いや、でもよ。それより人生で大事なことってたくさんあるじゃないですか。
今からお手製の算数の問題集をこつこつ作っている夫だが、夜な夜なそれを作るのに熱中しすぎて「徹夜してしまったから少し寝るわ」と言って、土日に子どもの相手をしないとか、在宅勤務なのをいいことに子どもが起きるのと同時に寝始め、保育園の送迎を全くしないというのはさすがに方向性がズレすぎている。
「今やるべきことは何なんだか、よく考えろ」と静かにキレたら反省したらしい。この反省、いつまで続くやら。本当に先が思いやられる。
できない私ができるとしたら、「これ、お母さんに教えて」だな。「お母さん、本当に算数全然わからないから、教えて」
アウトプットは大事なのだというから、この役割はむしろ適任。「はいはーい!私、できます!!」と自信を持って言えるわ。
思えば、面接で「お母さんの困ったところ」を聞かれて、私は「何でも笑ってごまかすところ」と答えた。だけど、大人になって、親になって「何でも笑ってやりすごせる」というのは、ある意味ものすごく能力の高い話だと思うわ。決してマネできないけど、自分の子どもに「お母さんはなんでも笑ってごまかすよね」と思ってもらえたら、それはそれでとても光栄だと胸を張りたいわ。
ところで、共働き、と言うとフルタイムを想像してしまうけれど、必ずしもそうではないのだと思い知った。時短やパートタイムも共働きなのだ。専業主婦でなければ、共働きになるのか。周りを見渡して、両親ともにフルタイムで中学受験に合格している知り合いがいない、という事実に気付いてしまった。いや、正確には同級生にいるのはいたが、士業で自宅近くに法律事務所を持っているとか、お父さんが自宅で開業医をしてお母さんがそこの看護師だの薬剤師だの、祖父母と同居、とかなんかそんな感じで、しがないサラリーマンで通勤に双方1時間かかります、という人が中学受験ってできるのかしら・・・と思ってしまった。
かといって我が家の場合、シングルインカムでは私立中学には行けない。ジレンマだわ。この本が書かれたのは2018年で、今は在宅勤務もできるようになった時代なので、働き方はいい意味で多様化しているし、もしかすると活路はあるのかもしれない。
とりあえず、目先、小学校に入るまでは「非認知能力」が重要で、いろんなところに連れて行くのがいいらしい。電車好きの夫の出番である。あとは絵本、これはすでに毎日やっている(私が癒やされたくて絵本を読みたいだけで、子どもがそれにつきあってくれている)ので、続けていればいい!ということがわかった。
子育てって正解がないから疲れちゃうけど、いろいろ知れるのは楽しい。楽しくないと続かないよね、なにごとも。
#共働きで中学受験
#西村則康
【読書ノート】話ープレゼン・スピーチ・営業・交渉・接客・飲み会ー
電車の中の広告で見かけて、図書館にリクエストを出したら2番目で回ってきた。新刊本はやはり出たときに読むのが一番いい。それなら買えばいいものだけど、残念ながら予算も置き場もないので、相変わらずの図書館利用。
結論を言うと、おもしろかった。
カナダのテレビ局で、インタビュー番組の司会を務めたという著者の略歴に、「インタビューする生活してるわけじゃないしなー」と、あんまり参考にならないかも感を持っていた。翻訳本は文化が違っていたりしてあまり参考にならない・・・と感じることも多い。けれど、コロナ禍という世界中どこの国でも経験している状況を踏まえて、これからの世の中でどうコミュニケーションを取るのがいいか、と言う内容で、すんなり自分の中に入ってきた。
どんな状況になっても、人は他者とつながりたがる。コミュニケーションはいつの時代も必要。対話はインタビューだな!特に、初対面の人と会話するのは、質問を投げかけて、答えてもらって、のくり返しだな!と納得。
人とのつながりは「嗜好品」じゃない。「必需品」だ。
そうなのかもしれない。コロナ禍で人との接触を控えなければならなかった時を経て、親しい人や会いたい人と気軽に会うことができなかった時を経て、そう思う。
子どもを持ってから、初対面の人と会話する機会がぐっと増えた。保育園の送迎で。あるいは公園で。駅でも、電車の車内でも。
第1子の通う保育園は、保護者は園内に入らず、建物の入り口で先生に引き渡すスタイル。なので、登園や降園のタイミングが重なると、何人か列をなして待つことになる。特に朝は子どもにとってソーシャルディスタンスなど通用しないので、「おはよー!!!」とガンガン行ってしまう子どもを追って、待っている保護者の方と会話せざるを得ない状況になる。
私はどちらかというと初対面の人とでも会話できるタイプだけれど、話しかけても会話が続かない、という相手に対してもどんどん話せるほどのスキルはない。
「子ども」「同じ保育園」という共通項がありながら、会話が続かない人がいるのだ。
「えぇ。まぁ」くらいしか返答がこない人とは会話が続かない。さして相手に興味もないので、それ以上会話が続かなくてもいいけど、気まずい沈黙に耐えられない。これからはインタビュアーになったつもりで話しかけてみよう。という気になった。
リモート会議が「なんとなくやりにくい!」と感じていたのは、表情やトーンが伝わりにくいから。口を挟むタイミングがつかめないから。あぁ、だからか。リモート会議の特性をつかんで参加するのは大事なことだ。