「教育」よりも「共育」。そして「今日、行く」
宮里藍が出産したというニュースのなかで、「本当に命を繋ぐことは凄いこと」「これからは母としても成長できるように、子育ても楽しみながら頑張っていきたい」というフレーズがとても印象に残った。
そうなんだよな、出産って、命を繋ぐことなんだよな。
私の両親も、夫の親も、孫の成長をとても喜んでくれているのはそういうことなんだよな。
アラフォーで年齢的にかけこみのように出産したけど、別に子どもはできなくてもいいと思っていた。
でも、両親がめちゃくちゃ喜んでいる姿をみて、命を繋げてよかったな、と思った。
そして、共に成長する。
何歳になっても、成長はできるんだなと思った。
自分を変えたい。成長したい。
その手助けを子どもたちがしてくれている。
ブログを書くのにあたり、「共育」ということばを検索したら、「教育」と「共育」と「協育」について書いている人がいた。
そして、その人は「今日、行く」という内容を追記していた。
それぞれの「きょういく」を、「今日、行く」のだと。
そうなんだよな、私は今日を生きていて、今日も生きている。
そんなことを思いながら、子どもが起きてくる前にちゃっちゃと書いちゃおうとPCをあけてはてなにログインすると、神田沙也加が亡くなった、自殺の可能性、とのニュースが目に飛び込んできた。
そういえば私も竹内結子が自殺したときに、ちょうど子育てと仕事で毎日うまくいかないことばかりで、「あー、死んだら楽になるのかなー」とぼんやり思った。
喜びを数えたら あなたでいっぱい
パプリカの歌詞だ。
この部分に感激して、たいがい涙してしまう。
今は死ねない。
この子たちを置いて、死ねない。
今日も生きよう。
さて、そろそろH1号を起こそう。
と、思っていたら起きてきてしまった。
今日も怒濤の一日がはじまる。
#共育
#今日行く